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東京都中野区を拠点に活動中。 2002年よりFESN(カメラマン) 2008年よりDiginfo(映像編集) 2009年より理学療法士養成校に入学

フィジセラBlog

2008年12月9日火曜日

草明戦観戦


先日の日曜日は伝統の一戦と言われる草明戦を観戦しに国立競技場に行ってきました。

気温がいっきに下がるという予報を信じてダウンジャケットと水筒に熱い日本茶を入れ、防寒対策バッチリの状態で一人テクテク国立競技場へと。

国立競技場の中に入るのはこれで3回目。1度目はトヨタカップ(サッカーの試合)を見に小学生の時、2回目は神宮の花火を見にきてあまりの人の多さに競技場の中へと避難、2回とも自分の意思ではなく成り行きで(結果的に)足を踏み入れました。

今回はというと・・・。

ある日突然、ラグビーの試合が見たくなったのです。
特に国立競技場でないといけなかったわけではないので、また今回も結果的に足を踏み入れたというわけです。

ではなぜ今になって急にラグビーの試合を見たくなったのか?
もう10年も離れていたスポーツに興味を持ったのか、しかも国立競技場にまで足を運んで?

という疑問は観戦を終えた今でも分かりませんが、緑の芝生の上でプレーする選手を見ていてとても羨ましく思いました。自分ももう一度プレー出来たらと(こんなこと言える立場ではありませんが)

これからも開いた時間をみつけて見に行きたいと思います。

(高校時代のラグビーのユニホームが明治と同じカラーだったので明治を応援しました)

2008年12月1日月曜日

MAO


ずんずん読み進めて、あっという間の上、中、下。
ワイルド・スワンにどっぷり浸かってしまったこの頃でした。

自分の生まれるわずか3年前まで続いていた文化大革命という名の大静粛。数々の塗炭の苦しみは遠い昔話のように聞こえたり、又は現実には存在しない作り話のように感じてしまいますが、文化大革命が行われていたのは1966年から77年自分の母親と同じくらいの時代を隣の国で過ごした著者、一つの海を隔てて同じ時代、時間を生きたとは信じがたい現実が語られていました。

ワイルド・スワンの中でも所々、垣間みることがありましたが、毛沢東という人物像、なぜ広大なアジア大陸において中華人民共和国を設立することが可能だったのか。国民党、共産党を巧みに操ったモスクワの存在。様々なチナマグサイ編み目をかいくぐり毛沢東はトップにのぼりつめたのか。

ワイルド・スワン 激動の中国を生きた親子三代の物語 その時代の真相を知るべく、ユン・チアンが十年という歳月を掛けて書き上げた毛沢東の真実『MAO』を読み進めています。

2008年11月12日水曜日

MOVE with Wild Swans


昼か夜かも分からない部屋で過ごした4年間、秘密基地のようで結構気にってはいましたが、遂にお別れです。
窓のない半地下生活、思い起こせば沢山の思い出が、どこにも詰まらないくらいあります。まだまだ先は長いけれど、何十年経っても特別な想いが、僕の中と空気の循環が無いあの部屋にはずっと残るような気がします。


そして新しい部屋は今までの窓ない生活を取り戻すかのように四方を窓に囲まれた部屋で、カーテンを買うのに苦労してしまうほどです。

そんな引っ越しの最中、おもいっきりの見込まれている世界が1800年後半から1900年後半の中国共産主義世界「ワイスド・スワン」本の長さからか、何度か挫折していたこの本、そんなことが信じられないくらい今はもの凄い勢いで呼んでます。
  
とても美しく崇高に感じる時代もあれば、絶対的権威に脅える時代、激しい動乱の中の物語もあと少し、早く読んでしまいたいような、読みたくないような・・・。

それより、荷物を片付けなくては。

2008年10月23日木曜日

ジョルジ・ジョルノ

本日押し入れの中を片付けていました。
知らぬ間に荷物というものは増えていくものですね。

その中でも驚くのが洋服、気付くと同じような形や色の洋服が沢山。
けれど、数年前と明らかにちがうのが、洋服のサイズ、今袖を通してみるとどれも大きなモノばかり、時代も変わり、洋服のチョイスも変わり、とこれは自分だけでしょうかね?

それと大変なのがVHS、今まで揃えた百本近いVHSをどうすべきか?相当、迷ったあげく、八割近くを捨てることにしました。ここ数年見てないという事と、多くがDVDで再販されていること。

まあ後は捨てないことには新しい運気が入ってこないと聞いたことがあるので。

それにしても、片付けをしてると懐かしく思うものと、目を背けたくなるもの年を重ねれば、少しずつ全ては薄らいでしまうけれど、僕の場合、何故かほろ苦い思い出の方が鮮明に憶えていたりします。
とても濃いけれど、毎朝飲みたくなる、代々木八幡のジョルノのコーヒーみたいです。

2008年9月29日月曜日

camp of sleep







東京を離れて約1時間半、相模湖周辺に点在するキャンプ場に行ってまいりました。

キャンプ初心者の僕たちは、とりあえず形からということで、前から持っていたテントにあわせてタープ、椅子とテーブル、飯盒、BBQセットを購入。

とにかく簡単にたてられるモノを選んだので、着いて1時間もしないうちに全て完成。
目の前にあるのは川、山、空、とてもシンプルなものばかり、川の音は全く途切れず、空は広すぎるほど広く、山は恐ろしくなるほど青く、そして・・・デカイ。

目の前にあるものがシンプル過ぎて、ボーっとして考えること忘れて、時計を見ては時間が過ぎいることに気づいて、少し考えて、眠くなって、そんな繰り返しでした。


なんか、時間の流れってのはそれと比較するモノがあるから感じることなんだなとか、普段大きいと思っていたビルなんかも自然にくらべたら、たいした事ないなとか、こんなとこに住んでる人や動物からしたら温暖化とかは塀の向こう側の人の話で傍迷惑だよなとか・・・。

考えても意味のないようなことを考えてるフリをして寝てました。

とにかくよく寝た。

そして飯盒で炊いたご飯の美味しさに感動し、家に着いてもコンロで飯盒を使ってご飯炊きました。(これから流行そう自分の中で)




2008年9月22日月曜日

コノゴロ

探し物はなんですか?

見つけにくいものですか?

鞄の中も机の中も探したけれど見つからない・・・。

子供の頃に聞いた歌謡曲のようにメタモルホーゼの続きを探してますが、見つかりません。
確かに見つけにくいものではある様な気もします。

そんなこんなで、気付けば雨が多くて、少しずつ冷たい空気が辺りを包んで、いつの間にか東北生まれ、冬生まれの自分の好きな冬が来るんでしょうね。
季節の代わり目は、いつも去年の今頃と来年の今頃を想像して不思議な気分になってます。

そんな中、夏目漱石の「こころ」を読み返して、だるま崩しのようにまたもや飛ばされて、村上春樹の「ノルウェーの森」を読み返して萎れたアサガオのような気分になって、知り合いから聞いた漱石の「夢十話」をよんで怖い夢を見ていたこの頃です。



そして、今は草枕を読んでいます。

それにしても、漱石の作品には、毎回体よりも大きな杭で突き刺されたような衝撃を受けます。

2008年8月26日火曜日

メタモルフォーゼ

一年ぶり、夏の終わり、踊りっぱなしの一日、トニー アレンから全速力で走り出したタンクトップ ジェットコースターは雨なんて気にせずに肩出しで走りだした。

相当広いはずの会場も小さな片面バスケットコートの用に見えてくるほど元気な僕は長年連れ添った同居人と共にはしゃぎ捲り、当然の如く、いつもの如く、急降下をみせる同居人を片目にうつしながら、何度もくる波にのり、のまれながら、マニュエル、UR、CLAM、奇跡的な夜明けを迎えて、ずっと踏ん張ってくれていた雨雲が土砂降りの雨を降らし、頼りない雨具を身にまとった僕たちは短すぎるパーティーに名残惜しさを感じながらも、会場を後にした。

あの日から一日、例えば財布とか携帯電話とか家の鍵とかとても大事そうに思える何かを忘れきてしまったような、不安にもにた感情が時折襲ってくるのはなぜだろう?

2008年7月30日水曜日

三浦綾子の話

最近、自宅の近くの図書館に三浦綾子全集を読みに行くというのが、一つの楽しみになっています。
今まで、全集というものは、過去に発表された作品集だと思っていたのですが、その中には作家が今までに書いたエッセイや本になっていない短編、短歌が納められていて、また違った側面に接することが出来ました。
特にその中でも三浦綾子全集の中には沢山のエッセイやインタビュウーなどが納められていて、感銘を受ける言葉ばかりです。
その中でたった今読んでいて、思わず心を打たれた言葉を一つ上げたいと思います。

「足のない人を見るまでは、靴のないことをぼやいていた」

満たされ過ぎた日々、不自由ない生活、胸を強く突き刺す一言でした。

三浦綾子全集は二十巻ほど出版されているので、時間のある時に読み進めていきたいと思います。

2008年7月25日金曜日

シグナルとシグナレス


宮沢賢治の短編、シグナルとシグナレス。
鉄道の信号機同士が切ない恋に落ちるという話です。
二人の儚い恋を結ぶのは倉庫の屋根、寒く冷たい雪の中繰り広げられる宮沢賢治の世界観にどっぷりとつかってしまいました。

写真は先週行われた横浜花火大会。
そら一面に広がる花火、体全身で浴びる音圧、自然と湧き出る歓声や拍手、苦手な人混みの中行ったかいがありました。

ゆっくりと流れる時間の中を脆く昇華する花火の玉、夏の風物詩を堪能しました。

次は海に行きたいですね~。

2008年6月26日木曜日

紫陽花


今週の初め、この季節としては100点満点の梅雨空の中、中野から南下すること約1時間半、数百年前の都、鎌倉に行って来ました。


今回この土地を訪れた理由はなんと言っても紫陽花。

僕には数年前まで季節の花を楽しむ習慣なんてまったくありませんでした。
少しずつ家を出てから駅に向かう道のりの中で見える木々の葉や道端のつぼみに目が奪われてしまうのは何故でしょう、単純に年を重ねただけと言われれば、そうかもしれません。 


四季のはっきりとした土地で季節の模様を楽しむのも一つの喜びです。


さて、今回の紫陽花ですが、想像を超える美しさ、視界を埋め尽くす様々な色は、一枚の絵を描くために準備されたパレット、紫陽花は土の養分によって色を変えるようです、一体鮮やかな色を出す養分とはどんなものなのでしょう。


今回、訪れたのは江ノ電、長谷駅から歩くこと10分の所にある長谷寺。
40種類、2500株の紫陽花、思い出したように降る希薄な雨、この季節、この日のタイミングだからこそ見える景色を記憶しました。


是非みなさんも季節の花、季節の雨を体験してみてはいかがでしょうか。

2008年6月16日月曜日

3star→明治神宮




先週末は初のバーテンに挑戦しました。
我らがFAT BROSの萩原さんが経営する3starにてバーテンをすることに、お酒の飲めない僕にとっては無縁の仕事と思っていましたが、実際に始まってみると、お酒を飲む暇などまったくありませんでした。カウンターから見える景色はいつもと違い、みんなの楽しんでる姿が古いVHSのテープでも見ているようで、厚みのある映像が時間の経過を忘れさせてくれました。
今回の主催者コウスケ君を初めとするDJ陣も純粋に音楽を楽しんでいて、一曲一曲掛かる音に体を揺らして外が明るくなっても最後の一曲がくるまでみんな帰らずに踊っていた姿が印象的でした。
次のイベントもタイミング合えば一緒に遊たいです。
萩原さんお疲れさまでした。またよろしくお願いします。

そのままの勢いで朝日を右で覆い隠して、肩には最近買った中盤MAMIYA-RB67をぶら下げて、いざ明治神宮へ!

初の明治神宮には唖然。都会、しかも原宿の真ん中にこんなスポットが存在するとは思っても見なかったです。東京に来て10年、知らないことはまだまだあります・・・。

そのまま代々木公園の芝生に横になると、さすがに記憶が真っ白。強い日差しをものともせずに夢に中へ。
みんなが都会に集まり始まる昼過ぎには渋谷より中野直行便のバスに乗り帰宅。
詰まった週末でした。
おかげで部屋の掃除は進まないまま・・・。頑張ります。

2008年5月19日月曜日

anohi

遂に、この日がやって来ました。
「overground broadcasting完成試写会」この日をどれだけ待ったことか、誰が一番待ったかというと、我々クルーそして監督森田貴宏自身だと思います。楽しい時間、今か、今かと待ち望んだ時間は、あっと言う間、一瞬で過ぎ去ります。そうです。この試写会も一瞬にやってきて過ぎ去ってしまいました。一瞬で過ぎ去った時間。波打つのが目に見えるような拍手喝采の数分。一年分ぐらい交わした握手の数々。激励の言葉。全てがもう過去の出来事です。


 このまま拍手が鳴り止まなかったらどれだけ幸せかと。それでも、もう5月16日は「あの日」になってしまいました。けれどあの日「5月16日」は僕にとって記念すべき日で一歩前に進んだ一日でした。

一歩進んで、素晴らしい過去の「5月16日」を振り返ると、一日、一時間、一分、一秒、確実に色褪せていくのです。遠くなる拍手、握手の感触が薄くなる手のひら、聞こえづらくなる激励の言葉。
あの日に受けた感動を胸に、また新たな挑戦の一歩を踏み出したいと思います。

その一歩はあの日を超えるような一歩になるように。

詳しい、レポートはFESNのHPと次号のトランワールドでレポートする予定です。
取り急ぎ、色褪せないうちに書きました。

2008年5月10日土曜日

5月16日


「締め切り」この部屋の中ではこの言葉は無意味である。次から次へと溢れ出てくるアイディアに一人の行動力では補うことが出来ず、この建物には常に何人かのスタッフが出入りし、一人の統率者の下、そのアイディアを具現化すべく動いている。この溢れ出てくるアイディアによって締め切りという言葉は意味を無くしてしまう。
初めにこの締め切りという概念についての共通認識を持っていないことには、この作品を語ることは出来ない。意味を無くした言葉は死語となるので忘れることにしよう。

「アイディア」この部屋から溢れでるアイディアには狂気さえ、感じることがある。突発的に飛び出ることもあれば、固まらない粘土のように長年の歳月を掛けて生み出されることもある。
長年考え抜かれたアイディアはもちろんだが、突発的アイディアにしても、それは物凄く洗練されていて、常に斬新だ。しばし僕はあまりにも洗練されすぎたアイディアに疑りの目を向けることもある。(疑りというのは理解に苦しむがゆえのこと)

 洗練されている、という定義について話そう。簡単に言えば田舎臭くないということだ。僕自身も東北の片田舎出身であり、同時に田舎者である。けれどここで話す田舎者とは生活している、生活していた、場所をさしているわけではない。洗練されているということは大量のデータの中で揉みくちゃにされ、更にそこから峻別されたモノこそが洗練されているということになる。この大量のデータというのが重要なキーワードになってくる。

別に誰が田舎者だ、とか自分を自嘲するために書いているわけではない、ただこの事務所の中で沸き起こるアイディアは、常に洗練されているということを言いたかった。

そう、八年間の歳月を掛けて、洗練されたアイディア達が詰め込まれた作品がここに完成する。
人生六十年と考えれば八年という月日は短く感じるかもしれない、けれど僕にとって八年という歳月は永遠のようにさえ感じる。八年の歳月を掛けて一つのことをやり抜く姿勢、純粋に美しいと思う。

     5月16日 金曜日 at 中野ゼロホール 7時30分
締め切りという言葉が完全に死語になっていなければこの日、この場所でみなさんにお会い出来ると思います。

2008年5月3日土曜日

ふいに友達から言われた言葉。
ドキっとするような言葉かもしれないけれど、僕とその子の関係上、ドキっとするようなニュアンスにはならないし、その後の展開も期待出来ない。(もちろんお互いそう思ってる)

僕はその子から、そんな言葉が出て来ることは予想外の事だったし、どういう反応をしていいのか、まったくわからなかった。その時、僕は先を急いでいて、ゆっくり話すことが出来なかったから、曖昧な返事でその場所を切り抜けたような気がする。はっきりと憶えてないのは、その言葉だけが頭の中で反復していたからかもしれない。

人は人と接する時、様々なフィルターを通して会話をしたり、目と目を合わせたり、握手をしたり、無意識のうちに自分を作っている。もちろんそうすることが悪いことじゃないと思う。なりたい自分になるために、自分をプロデュースする。当たり前のことだ。

けれど素直に、人恋しい、と一言、口に出来る素直さも必要なのではないか。

あの時の透明な一言が今でも僕の心に残っている。

ふとした瞬間に頬の筋肉が和らぎ、自転車のペダルを踏む足に力が入ったり、浮き足立つように帰り道を急いだりさせる。

その度にそんな一言を素直に言える気持ちをいつまでも忘れないで欲しいと思う。

いつか書きたいと思っていたこと。こんな目に見えない雨の帰り道。僕はまたペダルを強く踏んであの一言を思い出した。

2008年4月28日月曜日

IN OUT meets 泥の星からやって来た宇宙人


穴倉同居人が主催するイベントIN OUT at hevy sick zero中野にシークレットゲストとしてにTHA BLUE HERBが出演しました。
自分も2002年から撮影を共にして、地元中野での初ライブ、これまたファインダー越しではあったけれど、特別な思いがしました。
いつも遊んでる場所にまったく違った空間が作られたようで、お客も超満員、あそこに居た全員が、一つ一つの言葉に心を傾けて、真剣に向き合っていて、様々な感情を持ってじっくり楽しんでいました。
毎回見る度に、実感します。同じ時代、同じ国に生まれて良かったと・・・。

その後もサンスターで朝方まで、泥酔同居人がギリギリ意識が保てるくらいの、アルコールの匂いが絶え間なく続いていました。

翌日、BossさんとDYE君を乗せて、レペゼンROTF a.k.a ソンシと共に横浜ZAIM KAIKOO meete REVOLUTIONに行って来ました。
詳しいレポートはFESNのHPでレポートするとして、個人的な感想はTURTLE ISLANDにやられました。
あの人数で、あの気迫、音楽的云々もあるけれど、単純に圧倒されました。
アウリングが大音量で襲い掛かってくるようで、その中にも規則的で情熱的なリズムがあって、視覚的にも発狂寸前の肉の固まりが破裂しながらビートを刻んで、連鎖が連鎖を呼んで会場のお客さんに伝わり、今度は客席からの熱風にステージいる人達を奮い立たせているような、会場全体が一つになる瞬間を目の当たりにしました。最高でした。

でも、ブルーハーブはたった二人でそれと同じくらい、いやそれ以上の一体感を、何故作りだすことが出来るのだろう、やっぱり凄いの一言につきます。

2008年4月26日土曜日

諦めることに慣れたくない。

写真家。と言ったって、風景、顔、物、人物、目に見えない物、様々なモノを写す人がいる。
そんな多くの中で光るためにはどうしたらいいのか、光るとはどういうことか。

朝から続いていた黒い雲が夕方過ぎ、我慢できずに雨を落とした木曜日。それが少しだけ分かったような気がした。

アニー・リーボヴィッツという写真家のドキュメンタリー映画を吉祥寺バウスシアターに見に行ってきました。

どこにでもあるような一般的なメガネ屋さんのお兄さんに映画館の場所を聞くと、まだあるのかな~、もしあるとしたら、というような返事が返ってきて不安になったけれど、映画館に着くと意外としっかりしていて拍子抜けしながらも、いざ場内へ。

「アニー・リーボヴィッツ」とインターネットに接続すれば、どういう人物なのかは分かると思うので、僕からの感想だけを言うと、写真を撮るということに乾かなかった人、次々に撮りたい写真のイメージが浮かび上がりそれを実現するだけの気概があったということ。それと何より「諦めることに慣れてない人」だということ。

最近、周りの人達と話すこの「諦めることに慣れる、慣れない」というキーワード。
諦めることに慣れないためにはどうしたらいいのか。
それは僕の周りの人達が常に実行している。
車の窓に反射する自分、窓ガラスに写る自分、毎日自分の姿を見るように、常に希望を抱き続けることだと思う。

2008年4月19日土曜日

ameについて考える。

「雨のことについて書くのも、嫌なくらい雨が降り続きましたね」
なんて書くのが当然のような天気だった。
でも実際そんなに大変だったという記憶が僕はあまりない。雨が降っていても傘をさして仕事場まで通っていたし、傘がなければ濡れたまま帰ってシャワーを浴びればよかった。というか雨に濡れるということに対して昔より、敏感じゃなくなったと言ったほうが正しいのかもしれない。
なんでだろう、昔はよく雨だと少し面倒だと感じたり、憂鬱な気分になったりしたけれど、今はそれがまったくない。

たぶん、昔よりいろんなことがどうでもよくなったのかもしれない、言い換えれば雨なんて気にしてられなくなったということだろう、雨のことよりも他に考えることが多くなりすぎて、雨について考えることが少なくなったということだ。

それっていいことなかな?

2008年4月16日水曜日

自転車


明日から雨という噂を耳にしました。
地球の環境が変わり始めて、ゴールデンウイーク前に梅雨が始まってしまったのでしょうか。

昨日に続き貴重な晴れの日、自転車に乗り、若者の町、渋谷、原宿、青山に行ってきました。
仕事の所要を終わらせて、LEE君 http://www.alexanderleechang.com/ の手がけるアパレル、アレクサンダー・リー・チャングの展示会に行ってきました。

なんと、今回のTシャツの中に僕の撮ったスケートの写真が使われいるのです。

自分の写真がTシャツになるのって素直に嬉しいです。

町中でもし、着ている人いたら、話しかけたくなってしまうかもしれません。(出来ないと思うけど・・・)


その他にも、個性豊かな洋服が沢山ありました。それにやっぱり、アパレルというだけあって、アイテム数の多さと、作り物のこだわりの深さを痛烈に実感しました。

なんか、あういう場所に行くと、ついつい欲しくなってしまいますよね。


是非、みなさんもHPなどから洋服がチェックできるので、一度ご覧あれ。

ten years later GOGO

今日はふとしたタイミングから、近所に住む魔女とフランス映画に出てきそうな髪型をしたバック職人の女の子と中野南口にあるオープンテラスを兼ね備えたカフェで、陽気な太陽の下、気持ちのよい午後を過ごしました。
まぁ、美女二人ということにしておきましょう。

本当に気持ちの良い午後で、暑くもなく、寒くもなく、四季がなくなったとしたら、こんな天気が毎日続けば最高だな、と思うような日でした。

話した内容は、地域社会、無農薬野菜、地球環境、恋愛、将来に対する希望や不安だったりで、気が付くと日が傾き始めていて、夕飯の話題になり、
「今日は餃子、私は茶碗蒸し」とか聞こえてきて、茶碗蒸しとプリンの作る工程が途中まで同じとか、でも夕飯で茶碗蒸しとプリンの差は大きいな、とか思ってました。

そして、僕がパスタを茹でた後に、冷水で蕎麦のようにしめると自信ありげに言った時の二人の反応は凄かったな。
確かに表記されている茹で時間より長く茹でてているはずなのに、表面が硬いなと思ってました。
(なるほど)

最終的に十年後、目の前の風景が、中央線の線路ではなくて、真っ青な海と砂浜に変わってたら最高だね、なんて話で落ち着いていたような気がします。

なんでもない一日のなんでもない午後だったけど、十年後、今日の事を思いだすことがあったら、「いいな」なんて思いながらブログを書きました。

2008年4月12日土曜日

横須賀、横浜


昨日は久しぶりに横須賀に行って来ました。
米兵のタクシー運転手殺害問題で揺れる、基地の町、横須賀。実際行ってみると、確かに町の中には基地の人々と思われる人達が見受けられた。他国の基地のある町、不思議な形態をとってるこの国、そこの疑問に声を大きくする人は少ない。

自身の所属する映像プロダクションの次回作「overground broadcasting」でも、こういった問題に積極的に取り組んでいます。確かに賛否両論、弊害の大きな問題ではあるけれど、取り組まなくていけない事。
「ナショナリズム」非常に素晴らしい言葉で危険な要素を含んだ言葉。上手に消化することが出来れば、何の問題も起こらない、けれど人に欲がある限りそれは不可能なのかもしれない。

しかし積極的にこういった問題に取り組む以外にどんな解決策があるだろうか、多くの人の意識が傾くことによって、ほんのわずか前進することが出来るはず。

次回作を見て、少しでも多くの人が、自分の周りに起こる問題、矛盾に関心を持ってくれたらと思います。


次回作のティザーです。

http://jp.youtube.com/watch?v=P8druwOfSnk

http://jp.youtube.com/watch?v=LldO9ldFt8A&feature=related

2008年4月6日日曜日

桃色絨毯道路



 毎年ここに移り住んでから外に出ると、この季節は桜が満開で、束の間の心のゆとり、みたいなものを感じることが出来ます。


 今年の桜は突然満開になってしまって、絶頂に達するまでの余韻がなく、朝起きて外にでると視界一面が桃色で拍子抜けしたのを憶えています。何事も達成するまでのプロセスが楽しいように、徐々につぼみが大きくなり、いまかいまかと待ち望んで、最終的に、本当に綺麗に咲いたね、なんて言うをイメージしていた僕は少しだけ残念でした。
 この季節になるとカメラを持って中野通りをウロウロと徘徊するのですが、今年はまだそんな気持ちになれません。だけど、今こうして桜が散っていく姿はとても美しく感じます。絶頂を越えて、道路一面に桃色の絨毯のように落ちる花びらに最高の美を感じました。


明日は葉桜を見ながら、今年始めてのお花見に行ってきます。


2008年3月29日土曜日


 開放的なダンスフロア、真っ黒な世界に響く音楽、それに支配される感覚、ウイスキーコークとテキーラの匂い、ふらつく足元に異性の香り、日常に起こる目を背けたくなる出来事、どんなことだって、あの中なら関係ない。ある意味、非現実的な世界、最高に楽しかった~。




 先週の金曜は自身の所属するスケートショップFAT BROSによるダンスイベント「Return of the FAT」がヘビーシックZERO中野にて行われていました。




 つかの間の解放日、最高に遊ばせてもらいました。




 その後で見た中野通りの桜、春が来るを実感させる視覚、けれどまだ全然寒い、朝日がそれを若干和らげてくれたけれど寒かった。


 


桜さんちょっと早かったんじゃない?


自身の所属するHPのレポートでもその様子を公開してるのでチェックしてみて下さい。






2008年3月23日日曜日

3年後の自分

「3年後の自分をイメージして、そこから判断すると、正解は大抵、めんどくさいほうにある」

という一文を読んだ。



確かに、今は困難に思えることや、日々の瞬間的な空虚感は、3年後には鼻先で笑えることかもしれない。逆を考え、3年前の自分を想像すると、当時、様々なことについて、悩んでいたような気もするが、今となっては、あれで良かった、と思えることもあるけれど、あの時違う選択をしておけばと思うこともある、けれど始めの一文のように、面倒なことに向かったことに対しては、まったく後悔はない。(良く言うように反省はあるけれど)



簡単なことではないけれど、数年先の自分が僕を見て、あの時踏ん張って良かった、あの時断ち切って良かった、あの時新しい一歩を踏み出して良かった、あの時腹を決めて良かったと思えるようにありたい。

2008年3月16日日曜日

日本の文化につて

日本にはキリストやアラーといったような神が存在しない。
ありとあらゆるものに神が宿るといわれてきた、大木、大岩、風といった具合に、この国は他の民族や他の国に国土を占領されたり、追放、あるいは虐殺されたり、独立するために多くの犠牲をはっらたという歴史的苦難を味わっていない、また違う言語を強要されたりしていない。

ヨーロッパや新世界もそういう侵略と混血の歴史を繰り返していて、それが国際的な理解の基本になっている。

確かに日本は原爆を落とされたことのある世界唯一つの国であることに変わりはない、けれど上に書いたような侵略により、国が分断されるようなことは無かった。僕達が今生きる現実の中で混血という言葉は余りにも遠いように感じる。

「文化とは差異を積極的に表すこと」という見解を読んだことがある。アジアの東の端にあるこの島国には、世界に広がる大陸に比べて、その必要性は低かったのだろう、今の日本に日本古来の文化なんてあってないようなものだ。その文化が前の大戦(原爆)で全て失われたという見解もあるが、元々外国との接触が少ない島国で諸外国との外交や政策が苦手だったこの国がどこで侵略戦争の歴史から、電気製品の製作の歴史に切り替えるべきだったのだろうか、それが原爆と言っているわけではない、どこかでこの国の進む道は必ず変えなくてはいけなかったということだ。高度経済の成長、バブル、崩壊、不良債権問題、今が幸せがとうかは自分が決めるべきことだか、どこがで何かが変わらなくてはいけなかったのは事実だと思う。(スーパンマン的存在が現れる可能性だってあった)

現実的にそれが原爆であったことは確かだ、僕は戦争を肯定しているわけではない、むしろ「戦争反対」と大声で言いたいくらいだ、だって今戦争に行けといわれても、それは無理なことだ。決して人の命を奪うことを肯定するようなことは出来ないし、暖かい部屋の中で好きな音楽を聴きながら、何度も読んだ本を擦り切れるまで読んでいられれば、それに越したことは無いはずだ。(それと柔らかい肌があれば申し分ない)けれど、世の中の人間が心を持った時点でそれは避けて通れない道なのかもしれないとも思う。

大事なことは、こういうことについて話すということだ、表現することの自由は間違いなく守られるべきだ、文学の中や芸術の中で人を殺すとは罪にならない。

ということで、先輩から教えてもらった人権擁護法案について皆さんも考えて頂きたい。
大事なことは考えること、話すこと、OUT UPである。

http://blog.livedoor.jp/monster_00/archives/cat_847822.html




この国は汚れた世界の中で、美しい心を持った人間が残る国とも言える。

2008年3月14日金曜日

嵐のような里帰り


タイトルの通り、嵐のように、里帰りをした。

なぜ、嵐のようだったかというと、里帰りが目的ではなかったというだけだ。


その様子は自身の所属する映像プロダクションのレポートのコーナーで近日中に紹介します。

(たぶん明日です)




やはり、里帰りは無条件で良い。

耳が痛くなりそうなほど静かで、目が痛くなりそうなほどに緑が多くて、喉を通る空気がミントガムを噛んだ後のようにスーっと流れて、最高だ。

もちろんそれはたまに、体験する田舎の風景だからかもしれない、確かに一週間も過ごせば、都会の喧噪に毒されている僕なんかは、なにか物足りないものを感じてしまいそうだ。


それに家族にあうことのできる喜びは大きい。

無条件で自分のことを認めてくれる存在。絶対に他に、その感覚、感情は存在しないと思う。

三浦綾子が書いた「母」にも表現されている通り、どんなに世間が悪人、犯罪者、異常者、と呼ぼうが、家族の絆は揺らがないと信じているし、信じたい。

例え、僕の母親が犯罪者だとしても、僕を産んで育ててくれたことには、かわりないし、そこには罪をも超える感情があると信じている。(もちろん僕の母親は犯罪者ではない)


僕もこの年(27歳)になるまで、そんなことを考えたことはなかった。親が子供を育てることは当たり前のことで、誰もがそうして育ち、大きくなったと、漠然と考えていた。だから僕が親から受けた愛情も当たり前だと思っていた。けれどこの年になると生きる苦しさ、家族を持つ難しさを、ひしひしと肌で感じることが多くなる。当たり前と思って受けてきた恩恵の大きさ、大切さに、嫌でも気付かざるおえない。

世の中の大抵の男がマザコンと言われようが、僕はかまわない。


特に僕の、昔の家庭環境を考えると、大変だったよね、ありがとうと、なんて言葉が小さすぎて足りないくらいだ。



最後に帰りの水戸の友部サービスエリア、なんか懐かしい匂いがした。焚き火が終わった後のような匂い、東北の匂いだ。東京に状況した頃を思い出した。長らく住んだ地元を離れて、始めての里帰り、不思議な気分だったな、自分の居場所が特定できない、宙に浮いたよう感覚だった。


流れた時について考えていたら、丁度、帰りのバスの中で読んでいた本の中に

「若いということは、無駄なことの連続です。けれど、その無駄使いをしないと良い大人にはならないのです。死にたいくらいの悲しい出来事も、後になってみれば、素晴らしい無駄使いの思い出として、心の内に常備されるのです」


という文章を見つけた。上京して十年近く、僕の無駄な時間は何処に溜まっているのだろう、僕は思う、その素敵な無駄な時間が溜まった場所を見つけることが出来れば、生きる意味の何千分の一が分かるのではないだろうか。





2008年3月12日水曜日

文化


HPの製作のために、今までに撮った写真を整理していた。



すると二年前に行ったタイの写真の中に面白い一枚を見つけたので紹介したい。


不思議な配色の観光バス、そして絶対にありえないベンツのエンブレム。


このバスから感じる、この国の文化とは一体なんなんだろうか、確かにこの観光バスはこの国の文化ではない、日本でも渋谷に居るようなオバケのような顔をした若者に接した外人が、それを日本の文化として受け止められたら困る、とうか純粋に恥ずかしい、そうではない、と声を大きくして叫びたい。

 けれど、間違いなく、それも日本に存在する文化の一つで否定は出来ない、そうするとこのバスもタイから生まれた文化の一つであることに変わりない。



んー、何が言いたかったのだろう、ただ、あのバスを見て、そのあとにアユタヤの遺跡を見て、パッポンストリートで若い女性を買う日本人を見て、それをなんの恥じらいもなくエスコートする店員や買われた女の誇らしげな顔を見て、なにもすることが出来ずに、一緒に居た妹との間に流れた不思議な空気を今でも憶えてる。


本当に無力で痛かったな。



それだけだね。



2008年3月6日木曜日

tailand


間近に性行為をするのが確定した時間に感じるときめきを「かけがえのない充実した生の経験」


という一文を最近読んだ。


僕はそこに、どうしようもない欲求を満たすためにシャッターを押した瞬間と付け加えたい。


2008年2月29日金曜日

fashion



自身の所属するブランドLIBE BRAND UNIVSの展示会が無事に終わりました。


そうすると、自動的に僕の仕事が始まります。

物撮り。比較的芸術性を求められない仕事。露出とフラッシュの当たり方、フォーカス、カメラを握る人間に必要最小限の技術さえあればこなせる仕事。近い将来、機械にだってこなせる作業なる可能性だってあるはず。

そんな先行き不透明な作業でも、少なくても今は僕の大事な仕事。

正直のところ洋服にさほど興味の無い自分(誤解しないでもらいたい、世の中のfashion業界の人間に比べればということで、fashion業界を少しでも理解しているからこその発言だと思ってもらいたい)にとって、この作業をどう捉えるべきか、どうこなすべきか、考えてみた。

まず、僕は少なからずともこの写真を撮ることによってお金をもらっている。この事実がある限り僕はこの仕事を僕なりに完結したい。

同じ時間を費やすのであれば、さらに高みを目指したい。

行き着いた答えは、僕は一枚一枚の洋服に話し掛けるようにシャッターを押す。

なんて幻想的でディズニー映画のようなことは僕には出来ない。

だから僕は出来るだけ時間を掛けずに短い時間で写真を撮り終えるということに観点を当てて作業をこなすことにした。


完成した写真に、僕の今、シャッターを切った瞬間がなんてことない、「物撮り」に反映される。


それが僕が今出来るベストと言って良いのだろう。


これが今回、僕が仕事をする上で見つけ出した答えだ。

2008年2月28日木曜日

龍’s


写真


今日は南青山にある龍’sというお店の写真撮影を行ってきました。

実は今日で4日目。

思っていたよりも時間が掛かってしまいましたが、予想を上回る写真の出来に大満足。

帰ってメディアのデータを見てみると1600枚近い数の写真データが・・・。途中削除したデータを入れると間違いなく2000枚以上なのは確かです。


僕は今までに何枚の写真を撮ったのだろう?

ふと1600という数字を目にして漠然と考えてみました。多分今までに撮影した写真を全て繋ぎ合わせても1週間、いやもしかすると、1日にも満たないかもしれません。


1日=24時間・1時間=3600

24×3600=86400


ん? 多分満たない。


こんなにシャッターを切っても1日に満たない時間の切り取り作業。

全ての時間を切り取ることは、海を全て陸地にしようと埋め立てするよりも儚い作業のように思えて一瞬虚しい気持ちになります。


それでも1枚1枚、写真をチェックしていると、ぽっかりと心の中に空いた虚しい空間が少しずつ埋まってくるような気がします。


そして写真が完成して、パンフレットやメニューのチラシ、雑誌の紙面、または自分なりのプリントが成功した時に、その空間は埋まり、また僕はシャッターを切るのです。


ただ、シャッターを押すだけなら機械にだって可能なこと。


カメラを通じて様々な人との繋がりや、新たな発見。  

何かひとつの形になった時の喜びがあるから、僕は何千枚という写真を撮った後に感じる虚しさを乗り越えることが出来るのだと思います。


龍’sのみなさんとても良い経験をすることが出来ました。

ありがとうございます。

仕事のきっかけをくれた山岡さん、いつも僕の手伝いをしてくれた田中さん、毎朝迎えに来てくれた小林さん、美味しい料理を作ってくれるサワダさん、そして斬新なアイディアを提案してくれた社長、お世話になりました。
そして斬新なアイディアをもった社長


みなさんも是非、機会があれば食べに行ってみて下さい。

正直、安くはありませんが、時には贅沢な時間の使い方をしてみてはいかがですか、絶対に満足できる時間を過ごすことが出来るはずです!!


2008年2月24日日曜日

stert

自分のHPでは今までに撮った写真を公開しています。
興味のある方は是非ご覧下さい。

BLOGでは日々の些細な出来事を自分なりに綴ってみたいと思います。