自己紹介

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東京都中野区を拠点に活動中。 2002年よりFESN(カメラマン) 2008年よりDiginfo(映像編集) 2009年より理学療法士養成校に入学

フィジセラBlog

2008年5月19日月曜日

anohi

遂に、この日がやって来ました。
「overground broadcasting完成試写会」この日をどれだけ待ったことか、誰が一番待ったかというと、我々クルーそして監督森田貴宏自身だと思います。楽しい時間、今か、今かと待ち望んだ時間は、あっと言う間、一瞬で過ぎ去ります。そうです。この試写会も一瞬にやってきて過ぎ去ってしまいました。一瞬で過ぎ去った時間。波打つのが目に見えるような拍手喝采の数分。一年分ぐらい交わした握手の数々。激励の言葉。全てがもう過去の出来事です。


 このまま拍手が鳴り止まなかったらどれだけ幸せかと。それでも、もう5月16日は「あの日」になってしまいました。けれどあの日「5月16日」は僕にとって記念すべき日で一歩前に進んだ一日でした。

一歩進んで、素晴らしい過去の「5月16日」を振り返ると、一日、一時間、一分、一秒、確実に色褪せていくのです。遠くなる拍手、握手の感触が薄くなる手のひら、聞こえづらくなる激励の言葉。
あの日に受けた感動を胸に、また新たな挑戦の一歩を踏み出したいと思います。

その一歩はあの日を超えるような一歩になるように。

詳しい、レポートはFESNのHPと次号のトランワールドでレポートする予定です。
取り急ぎ、色褪せないうちに書きました。

2008年5月10日土曜日

5月16日


「締め切り」この部屋の中ではこの言葉は無意味である。次から次へと溢れ出てくるアイディアに一人の行動力では補うことが出来ず、この建物には常に何人かのスタッフが出入りし、一人の統率者の下、そのアイディアを具現化すべく動いている。この溢れ出てくるアイディアによって締め切りという言葉は意味を無くしてしまう。
初めにこの締め切りという概念についての共通認識を持っていないことには、この作品を語ることは出来ない。意味を無くした言葉は死語となるので忘れることにしよう。

「アイディア」この部屋から溢れでるアイディアには狂気さえ、感じることがある。突発的に飛び出ることもあれば、固まらない粘土のように長年の歳月を掛けて生み出されることもある。
長年考え抜かれたアイディアはもちろんだが、突発的アイディアにしても、それは物凄く洗練されていて、常に斬新だ。しばし僕はあまりにも洗練されすぎたアイディアに疑りの目を向けることもある。(疑りというのは理解に苦しむがゆえのこと)

 洗練されている、という定義について話そう。簡単に言えば田舎臭くないということだ。僕自身も東北の片田舎出身であり、同時に田舎者である。けれどここで話す田舎者とは生活している、生活していた、場所をさしているわけではない。洗練されているということは大量のデータの中で揉みくちゃにされ、更にそこから峻別されたモノこそが洗練されているということになる。この大量のデータというのが重要なキーワードになってくる。

別に誰が田舎者だ、とか自分を自嘲するために書いているわけではない、ただこの事務所の中で沸き起こるアイディアは、常に洗練されているということを言いたかった。

そう、八年間の歳月を掛けて、洗練されたアイディア達が詰め込まれた作品がここに完成する。
人生六十年と考えれば八年という月日は短く感じるかもしれない、けれど僕にとって八年という歳月は永遠のようにさえ感じる。八年の歳月を掛けて一つのことをやり抜く姿勢、純粋に美しいと思う。

     5月16日 金曜日 at 中野ゼロホール 7時30分
締め切りという言葉が完全に死語になっていなければこの日、この場所でみなさんにお会い出来ると思います。

2008年5月3日土曜日

ふいに友達から言われた言葉。
ドキっとするような言葉かもしれないけれど、僕とその子の関係上、ドキっとするようなニュアンスにはならないし、その後の展開も期待出来ない。(もちろんお互いそう思ってる)

僕はその子から、そんな言葉が出て来ることは予想外の事だったし、どういう反応をしていいのか、まったくわからなかった。その時、僕は先を急いでいて、ゆっくり話すことが出来なかったから、曖昧な返事でその場所を切り抜けたような気がする。はっきりと憶えてないのは、その言葉だけが頭の中で反復していたからかもしれない。

人は人と接する時、様々なフィルターを通して会話をしたり、目と目を合わせたり、握手をしたり、無意識のうちに自分を作っている。もちろんそうすることが悪いことじゃないと思う。なりたい自分になるために、自分をプロデュースする。当たり前のことだ。

けれど素直に、人恋しい、と一言、口に出来る素直さも必要なのではないか。

あの時の透明な一言が今でも僕の心に残っている。

ふとした瞬間に頬の筋肉が和らぎ、自転車のペダルを踏む足に力が入ったり、浮き足立つように帰り道を急いだりさせる。

その度にそんな一言を素直に言える気持ちをいつまでも忘れないで欲しいと思う。

いつか書きたいと思っていたこと。こんな目に見えない雨の帰り道。僕はまたペダルを強く踏んであの一言を思い出した。