自己紹介

自分の写真
東京都中野区を拠点に活動中。 2002年よりFESN(カメラマン) 2008年よりDiginfo(映像編集) 2009年より理学療法士養成校に入学

フィジセラBlog

2008年3月29日土曜日


 開放的なダンスフロア、真っ黒な世界に響く音楽、それに支配される感覚、ウイスキーコークとテキーラの匂い、ふらつく足元に異性の香り、日常に起こる目を背けたくなる出来事、どんなことだって、あの中なら関係ない。ある意味、非現実的な世界、最高に楽しかった~。




 先週の金曜は自身の所属するスケートショップFAT BROSによるダンスイベント「Return of the FAT」がヘビーシックZERO中野にて行われていました。




 つかの間の解放日、最高に遊ばせてもらいました。




 その後で見た中野通りの桜、春が来るを実感させる視覚、けれどまだ全然寒い、朝日がそれを若干和らげてくれたけれど寒かった。


 


桜さんちょっと早かったんじゃない?


自身の所属するHPのレポートでもその様子を公開してるのでチェックしてみて下さい。






2008年3月23日日曜日

3年後の自分

「3年後の自分をイメージして、そこから判断すると、正解は大抵、めんどくさいほうにある」

という一文を読んだ。



確かに、今は困難に思えることや、日々の瞬間的な空虚感は、3年後には鼻先で笑えることかもしれない。逆を考え、3年前の自分を想像すると、当時、様々なことについて、悩んでいたような気もするが、今となっては、あれで良かった、と思えることもあるけれど、あの時違う選択をしておけばと思うこともある、けれど始めの一文のように、面倒なことに向かったことに対しては、まったく後悔はない。(良く言うように反省はあるけれど)



簡単なことではないけれど、数年先の自分が僕を見て、あの時踏ん張って良かった、あの時断ち切って良かった、あの時新しい一歩を踏み出して良かった、あの時腹を決めて良かったと思えるようにありたい。

2008年3月16日日曜日

日本の文化につて

日本にはキリストやアラーといったような神が存在しない。
ありとあらゆるものに神が宿るといわれてきた、大木、大岩、風といった具合に、この国は他の民族や他の国に国土を占領されたり、追放、あるいは虐殺されたり、独立するために多くの犠牲をはっらたという歴史的苦難を味わっていない、また違う言語を強要されたりしていない。

ヨーロッパや新世界もそういう侵略と混血の歴史を繰り返していて、それが国際的な理解の基本になっている。

確かに日本は原爆を落とされたことのある世界唯一つの国であることに変わりはない、けれど上に書いたような侵略により、国が分断されるようなことは無かった。僕達が今生きる現実の中で混血という言葉は余りにも遠いように感じる。

「文化とは差異を積極的に表すこと」という見解を読んだことがある。アジアの東の端にあるこの島国には、世界に広がる大陸に比べて、その必要性は低かったのだろう、今の日本に日本古来の文化なんてあってないようなものだ。その文化が前の大戦(原爆)で全て失われたという見解もあるが、元々外国との接触が少ない島国で諸外国との外交や政策が苦手だったこの国がどこで侵略戦争の歴史から、電気製品の製作の歴史に切り替えるべきだったのだろうか、それが原爆と言っているわけではない、どこかでこの国の進む道は必ず変えなくてはいけなかったということだ。高度経済の成長、バブル、崩壊、不良債権問題、今が幸せがとうかは自分が決めるべきことだか、どこがで何かが変わらなくてはいけなかったのは事実だと思う。(スーパンマン的存在が現れる可能性だってあった)

現実的にそれが原爆であったことは確かだ、僕は戦争を肯定しているわけではない、むしろ「戦争反対」と大声で言いたいくらいだ、だって今戦争に行けといわれても、それは無理なことだ。決して人の命を奪うことを肯定するようなことは出来ないし、暖かい部屋の中で好きな音楽を聴きながら、何度も読んだ本を擦り切れるまで読んでいられれば、それに越したことは無いはずだ。(それと柔らかい肌があれば申し分ない)けれど、世の中の人間が心を持った時点でそれは避けて通れない道なのかもしれないとも思う。

大事なことは、こういうことについて話すということだ、表現することの自由は間違いなく守られるべきだ、文学の中や芸術の中で人を殺すとは罪にならない。

ということで、先輩から教えてもらった人権擁護法案について皆さんも考えて頂きたい。
大事なことは考えること、話すこと、OUT UPである。

http://blog.livedoor.jp/monster_00/archives/cat_847822.html




この国は汚れた世界の中で、美しい心を持った人間が残る国とも言える。

2008年3月14日金曜日

嵐のような里帰り


タイトルの通り、嵐のように、里帰りをした。

なぜ、嵐のようだったかというと、里帰りが目的ではなかったというだけだ。


その様子は自身の所属する映像プロダクションのレポートのコーナーで近日中に紹介します。

(たぶん明日です)




やはり、里帰りは無条件で良い。

耳が痛くなりそうなほど静かで、目が痛くなりそうなほどに緑が多くて、喉を通る空気がミントガムを噛んだ後のようにスーっと流れて、最高だ。

もちろんそれはたまに、体験する田舎の風景だからかもしれない、確かに一週間も過ごせば、都会の喧噪に毒されている僕なんかは、なにか物足りないものを感じてしまいそうだ。


それに家族にあうことのできる喜びは大きい。

無条件で自分のことを認めてくれる存在。絶対に他に、その感覚、感情は存在しないと思う。

三浦綾子が書いた「母」にも表現されている通り、どんなに世間が悪人、犯罪者、異常者、と呼ぼうが、家族の絆は揺らがないと信じているし、信じたい。

例え、僕の母親が犯罪者だとしても、僕を産んで育ててくれたことには、かわりないし、そこには罪をも超える感情があると信じている。(もちろん僕の母親は犯罪者ではない)


僕もこの年(27歳)になるまで、そんなことを考えたことはなかった。親が子供を育てることは当たり前のことで、誰もがそうして育ち、大きくなったと、漠然と考えていた。だから僕が親から受けた愛情も当たり前だと思っていた。けれどこの年になると生きる苦しさ、家族を持つ難しさを、ひしひしと肌で感じることが多くなる。当たり前と思って受けてきた恩恵の大きさ、大切さに、嫌でも気付かざるおえない。

世の中の大抵の男がマザコンと言われようが、僕はかまわない。


特に僕の、昔の家庭環境を考えると、大変だったよね、ありがとうと、なんて言葉が小さすぎて足りないくらいだ。



最後に帰りの水戸の友部サービスエリア、なんか懐かしい匂いがした。焚き火が終わった後のような匂い、東北の匂いだ。東京に状況した頃を思い出した。長らく住んだ地元を離れて、始めての里帰り、不思議な気分だったな、自分の居場所が特定できない、宙に浮いたよう感覚だった。


流れた時について考えていたら、丁度、帰りのバスの中で読んでいた本の中に

「若いということは、無駄なことの連続です。けれど、その無駄使いをしないと良い大人にはならないのです。死にたいくらいの悲しい出来事も、後になってみれば、素晴らしい無駄使いの思い出として、心の内に常備されるのです」


という文章を見つけた。上京して十年近く、僕の無駄な時間は何処に溜まっているのだろう、僕は思う、その素敵な無駄な時間が溜まった場所を見つけることが出来れば、生きる意味の何千分の一が分かるのではないだろうか。





2008年3月12日水曜日

文化


HPの製作のために、今までに撮った写真を整理していた。



すると二年前に行ったタイの写真の中に面白い一枚を見つけたので紹介したい。


不思議な配色の観光バス、そして絶対にありえないベンツのエンブレム。


このバスから感じる、この国の文化とは一体なんなんだろうか、確かにこの観光バスはこの国の文化ではない、日本でも渋谷に居るようなオバケのような顔をした若者に接した外人が、それを日本の文化として受け止められたら困る、とうか純粋に恥ずかしい、そうではない、と声を大きくして叫びたい。

 けれど、間違いなく、それも日本に存在する文化の一つで否定は出来ない、そうするとこのバスもタイから生まれた文化の一つであることに変わりない。



んー、何が言いたかったのだろう、ただ、あのバスを見て、そのあとにアユタヤの遺跡を見て、パッポンストリートで若い女性を買う日本人を見て、それをなんの恥じらいもなくエスコートする店員や買われた女の誇らしげな顔を見て、なにもすることが出来ずに、一緒に居た妹との間に流れた不思議な空気を今でも憶えてる。


本当に無力で痛かったな。



それだけだね。



2008年3月6日木曜日

tailand


間近に性行為をするのが確定した時間に感じるときめきを「かけがえのない充実した生の経験」


という一文を最近読んだ。


僕はそこに、どうしようもない欲求を満たすためにシャッターを押した瞬間と付け加えたい。