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東京都中野区を拠点に活動中。 2002年よりFESN(カメラマン) 2008年よりDiginfo(映像編集) 2009年より理学療法士養成校に入学

フィジセラBlog

2008年5月10日土曜日

5月16日


「締め切り」この部屋の中ではこの言葉は無意味である。次から次へと溢れ出てくるアイディアに一人の行動力では補うことが出来ず、この建物には常に何人かのスタッフが出入りし、一人の統率者の下、そのアイディアを具現化すべく動いている。この溢れ出てくるアイディアによって締め切りという言葉は意味を無くしてしまう。
初めにこの締め切りという概念についての共通認識を持っていないことには、この作品を語ることは出来ない。意味を無くした言葉は死語となるので忘れることにしよう。

「アイディア」この部屋から溢れでるアイディアには狂気さえ、感じることがある。突発的に飛び出ることもあれば、固まらない粘土のように長年の歳月を掛けて生み出されることもある。
長年考え抜かれたアイディアはもちろんだが、突発的アイディアにしても、それは物凄く洗練されていて、常に斬新だ。しばし僕はあまりにも洗練されすぎたアイディアに疑りの目を向けることもある。(疑りというのは理解に苦しむがゆえのこと)

 洗練されている、という定義について話そう。簡単に言えば田舎臭くないということだ。僕自身も東北の片田舎出身であり、同時に田舎者である。けれどここで話す田舎者とは生活している、生活していた、場所をさしているわけではない。洗練されているということは大量のデータの中で揉みくちゃにされ、更にそこから峻別されたモノこそが洗練されているということになる。この大量のデータというのが重要なキーワードになってくる。

別に誰が田舎者だ、とか自分を自嘲するために書いているわけではない、ただこの事務所の中で沸き起こるアイディアは、常に洗練されているということを言いたかった。

そう、八年間の歳月を掛けて、洗練されたアイディア達が詰め込まれた作品がここに完成する。
人生六十年と考えれば八年という月日は短く感じるかもしれない、けれど僕にとって八年という歳月は永遠のようにさえ感じる。八年の歳月を掛けて一つのことをやり抜く姿勢、純粋に美しいと思う。

     5月16日 金曜日 at 中野ゼロホール 7時30分
締め切りという言葉が完全に死語になっていなければこの日、この場所でみなさんにお会い出来ると思います。

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