自己紹介

自分の写真
東京都中野区を拠点に活動中。 2002年よりFESN(カメラマン) 2008年よりDiginfo(映像編集) 2009年より理学療法士養成校に入学

フィジセラBlog

2009年12月14日月曜日

Xmas会









今年一年間を通して、参加してきた練馬肢体不自由児者父母の会さんとのボランティア活動、一年間の中で一番大きなイベントとされてるクリスマス会が行われた。忘年会、テストや提出

物、いろんなものが重なり、かなり忙しい中での開催ということもあり、ボランティアの参加者を集めるのにとても苦労した。



なにか人にして欲しいことがある時、まず始めに何をすべきか。

それは自分がして欲しいと思うことより多くのことをすること、人に何かして欲しかったらまず、自分が何かをしてあげる。率先して面倒なこと、人がやりたがらないようなことをすることで、初めて人の心を動かせる。

今回、人を動かすことの難しさを改めて実感した。


本当にクラスの多くのみんなに参加してもらって最高に嬉しかった。

まじでありがとう。


会が始まって、まずオープンングから、僕の心は鷲掴みにされた。正直、ありきたりなクリスマスソングに合わせたミュージックベル、なぜそんなに心に響くのか、なぜ目頭が熱くなってしまうのか、分からなかったし、その答えは障害者の人が一生懸命やっているから、なんていう単純な答えではないような気がした。僕は途中から答えの出ない考えをやめて体で感じることに集中することにした。答えが明確にでないことだってある。

ただそれは満点の星空を眺めれば綺麗と感じるように、純粋に僕の心に届いたっていうことなのかもしれない。


その後も手話ソング、

やサンタクロースからのプレゼント、ボランティアによるゲームと順調に流れた。

会の人やボランティアに参加した方からの感謝の言葉が全ての苦労を帳消にしてくれた。


反省会でも言ったことだけれども、何故自分がここまでの労力を使ってこのボランティア活動に取り組んでいるのか、ふと疑問に感じたことがあった。

現実的な利益はなにもない、誰にも評価されない、そんなことに対して自分がここまで熱心し取り組んできた理由。


その答えは直ぐに思いついた。それは、僕が初めてこの会に参加した時の障害者を持つ親御さん達との会話にある。

なぜ障害者の親になったのかは誰にもわかない、それを自分に置き換えて考えたとき、僕は果たして前を向けるだろうか、僕はそんなかってな八方ふさがりな想像をしていた。だから僕は正直な意見を親御さん達から聞きたかったし、会に参加したからには聞くべきだと思った。

きっと暗い話が多いと、かってに思っていたが、そこには一つも後ろ向きな意見はなかった。むしろ、前へ進む意見や、とても明るい話題を提供してくれた。


そんな会話が今でも僕を動かす力となっている。



2009年12月10日木曜日

何を言わないか

「何を言うかではなく、何を言わないか」

確かにいま、自己主張が大事とされているいま、何を言わないかという言葉には考えさせられた。
全てを口にするのではなく、何か言わないことを自分の中で決めることで得られるモノもあるような気がする。

自分は何を言わないか。確かにある、それはここではもちろん言わないが、何かを言わないことで得られるモノを前進する力に変えていければと思う。

いろんなことが可能になったいま、不可能であるからこそ価値があることだってあるはずだ。

2009年11月30日月曜日

Do you know the word? It's art


 

人は時として無駄なことをしている。そして僕も多くの場合、無駄なことを沢山しているような気がする。
無駄なことと無駄でないこと、とは何か、どんな基準があるのか考えてみた。

意外と直ぐにその答えを定義するのは簡単だった。

無駄でないことは、行った行為に対して自分に見返りがあったか、して良かったと思えるか。

そう考えると自分のしていることに無駄は少ないような気がする。

先日、フランス大使館で行われているアート展?的なイベントに行ってきた。フランス大使館はとても古い建物らしく、今回立て直しを行うらしい、その最後のイベントとして、来年の1月末頃まで解放し、様々なアーティストと呼ばれる人が会場好きなことをしていた。
その中には一見して、無駄と思えることが多数存在した。
少なくとも僕はそういったことに時間は裂かないと思える行為だ。
一体誰が何のために、そんなことをするのか?どんな意味があるのか?
その答えは見つからない。
そんな無駄に思えることこそが、真の意味を与えてくれると僕は信じている。

「アート」世の中でもっとも曖昧で危険な言葉で、正当な意味をなす場合とてつもなく魅力的だ。




2009年11月15日日曜日

始めて


始めての仮装。
というよりコスプレ。
どんなことでも本気で楽しめば最高に楽しい時間になる。本当でした。
町行く女性や身じかに居る女性の何気ない化粧、実際にしてみると意外と大変です。目の際に書かれる黒いラインや瞼の間にのりで貼付けるツケまつ毛、触れるとすぐに色がつく口紅。毛穴を塞ぐファンデーション。辛いことだらけだったけど、仕上がった自分の顔にはうっとりです。

2009年8月24日月曜日

ボランティア活動

 
 

 ふとしたつながりから、今回で2回目の参加となった練馬区肢体不自由児者父母の会の方々とのボランティア活動、前回は障害者の方と接する事が初めての自分はどうしたらいいのか分からないまま、あっと言う間に過ぎた一日、それでも障害者の方や保護者の方々とじっくりと話しができ、今回は会の司会進行役を務める事に。

少しでも参加してもらった人に有意義な時間を過ごして欲しいという思いだけを胸にのぞんだ。

 前回感じた事は障害を持つ母親の強さ、前向きな姿勢だけだったけれど、会の打ち合わせなどを通じて、あらたに分かったことは、彼女達の中では障害者の子供を持ちながら生きていく事は現在も続いていて、日々葛藤しているという事。
 家に帰ると暴力が凄くて、ふと出た言葉に会の方々はうなずくだけだったけれど、自分にとっては衝撃的な言葉で、顔の表情からは今までの強さはまったく感じとれなかった。

 どうやってその弱さを強さに変えるのか、母親だからできることなのか、自分には計り知れないことなような気がする。ただ、そんな弱さを今回は知ることが出来て良かった。

様々なコンプレックス、弱さ、時には怒りにも似た感情が、生きる力に変わる。それはどの世界でも同じことだと自分は思う。

今後もこの会には参加して行きたいと思っているし、様々な人にも体験して欲しいと思う。
是非、興味のある方は連絡を下さい。

2009年8月18日火曜日

3376

一生に一度しておきたいことをしてきました。
Mt Fuji

感想を一言 「高い」

初めての登山で、なおかつ日本で一番高い山ということもあり、ゆったりの二泊三日で山頂を目指しました。

まずは五合目バスターミナル、多国籍ターミナル、人種はもちろんですが、本気の登山家、サッカーのユニホーム着た人、原宿からそのまま来ました的な人、もう既にグロッキーな人、そして自分の様な、なんちゃって登山家。

次に第一の宿泊場所七合目「ともえ館」
自分的にはちょうど良い高さでの御来光、最高でした。




次の日に宿泊した八合五勺目「御来光館」
この辺りでは様々な人種が一体となって、あの頭痛になやまされ始めますが、自分は問題ないフリをして山小屋お得意のカレーを食べて仮眠。の予定が三枚の布団に八個の枕、それに山頂まで最後の山小屋ということもあり、登山客で大混雑する上に夜中でも人の動きが絶えず、眠りにデリケートな自分は・・・。

それでも若干の仮眠を挟みいざ山頂へ。
今回初めての夜の山道、恐ろしい程に星は近く、プラネタリウムよりもプラネタリウムで、大量の角砂糖のような星がオリオン座の周りに転がっていて、月は三日月よりも細いナイフで、何よりも真夏とは思えない寒さが空から降りて、ブーツと厚手の靴下を通してつま先を凍らせます。


九・五合目辺りで周りがざわめき出して、空が明るみ、大渋滞していた登山道は一時停止ボタンを押したようにみんな足をとめて、一点を見つめていました。

そして周りから聞こえた声は

「早くして、寒い、焦らしすぎでしょ・・・」




ついに山頂へ。これまた山頂には不思議な町が、天空の城ラピュタとは掛け離れた世界、おみやげの叩き売りのお兄さん、久しぶりの感覚でした。
取って付けたようなセットの山小屋、カラフルなウエア、900円のインスタントラーメン、あそこに共通してあるものは、そこまで登ったという達成感、お疲れ様です。


最後に噴火口と山の下山は恐ろしい


             

2009年4月27日月曜日

manabu

最近の出来事

自分がこんなにもミニマムな生活をおくれていることに驚いています。
5時半に起きて12時前には布団に入る。
朝ごはんを多く食べて、昼、夜と食事を減らすようにする。
週に2回は運動する。

お金を使うことを抑えて、体を動かす。
食欲を抑えて、頭を動かす。

ストレスを溜めない程度に遊ぶ。
また、新たな時間の過ごし方、学ぶ楽しさを実感しています。


2009年3月24日火曜日

wbc japan no1

いや〜良かったです。
WBC。
最高!!

普段は応援グッツとかまったく興味ありませんが(むしろ、着ている人を見るとひきます)


ところが、今回は背番号6番NAKAJIMA のTシャツをこっそり買おうかなと思っています。
たぶん着る機会はそうとう低いと思うけど。

どういうシチュエーションで着用しようかな。

一人で家でスポーツ観戦する時。(一応オシャレ風に中に長袖を着てみる)
ランニングする時。(Tシャツ一枚は恥ずかしいからウインドブレーカーの下)
キャンプファイトや学宿など。(初対面の人が居ると名前をおぼえてもらいやすい)
デートの時。(間違いなくドンひき)

一番良いのはパジャマかな。
でも、一番きついのは、そのTシャツを着てて何も突っ込まれずに流された時。
そのあと、一緒にいる時間が着まずい。

2009年3月3日火曜日

2月

よく見ると2月は何も書かなかったのか。

2月はとにかくいろんな事がありました。
人生のうちで一度経験するかしないか分からない出来事。
とても悲しい出来事でした。

一生のうちで経験するかしないか分からない悲しい出来事。
イコール 経験しなくてよければ経験したくない出来事。
イコール 起きてはいけない出来事。
イコール 防ぎようにない出来事。
イコール 取り返しの使い出来事。
イコール 絶対に忘れないできごと。

後悔しても反省しても起きてしまったことだからしょうがない。

人生は下を向きながら歩くには余りにも貴重過ぎる時間です。




ミッション イン 広島

長い間更新していなかったような気がします。
まぁ それでも誰に頼まれてブログ書いてるわけではないので、問題ないですね。

最後に書いた日から何があったか思い出すと、まず広島の宮島、厳島神社。
どっか旅行に行こうという話になった時に思い浮んだのが、空が近くて飲み込まれそうな青い海の沖縄
目が痛くなる真っ白な北海道、もしくは思い切ってタイ、シンガポール、ベトナム、上海、香港、韓国焼肉
いろいろ思い浮んだけど・・・。

「そういえば海の上に浮んだ赤い鳥居が見たい、よく雑誌で見るところ」
長い間、思っていたはずなのになかなか浮んでこなった。
でも思い浮んだら即決、2日前に飛行機のチケットとってピューって感じで広島に移動。
(実は何処に海に浮んだ鳥居があるかすら知りませんでした)

満ち引き。急ではあったけれど、完璧に下調べして浮んだ姿と鳥居の真下まで行くことにも成功。
浮かれすぎて牡蠣を10個食べたら文字通り撃沈 発熱、嘔吐、下痢。
(あまり思い出したくなので詳しくは書きません)

とにかくミッション的には成功?だと思う。


2009年1月31日土曜日

2009年の雨

昔は比較的雨の日が好きだった気がする。
今でも、晴天の日よりも雲が多い方が気分が落ち着くような気がするし、ギラギラの太陽が昇っているよりは雨の方が好きだ。

けれど、最近は雨が降っていると現実的に面倒だと思うことが多い。
実際、外に出るのが億劫になるし、外に出てても傘が邪魔になり、靴が濡れ、ズボンの裾が濡れて、湿気が多くて、なんとなく不潔な感じさえする。

一番困ることは運動が出来ないことだ。
最近は熱心に走っている。
中学三年生サッカーインターハイが終わり、陸上部の先生にメンバーが足りないからとスカウトされ駅伝を走るために練習していた時以来だと思う。
もちろん高校の部活動で走ってはいたけれど、熱心にランニングだけしていたわけではない。

週に約4回、10キロ、月に160キロ。
でも中学三年生の時の方が走っていたかも。少なくても毎日20キロ以上走ってたような気がする。

だから雨が降ると走ることが出来ないので辛い。
そんな時は髪を切りに行ってプールでも行こうかな。

2009年1月14日水曜日

箱根湯本


今年初めての3連休
   初めてのロマンスカー
   初めてのロープウェイ

初雪、初温泉、初箱根彫刻の森美術館

何でも初が付いてしまう一月、去年の今頃は考えてしまう年末年始、年々時間の流れは速くなっていくと。

定年退職したおばさんの話  「朝、布団をたたんだと思ったら、また布団を敷いてるよ」

3年間、大殺界を乗り切る自分のテーマはミニマムな生活

毎日確実に自分に与えられた課題をこなす生活の中で見出すもの
これから過ぎる3年という月日が自分に与えるものをより大きくするために

とりあえず大涌谷から吹き出る噴煙と硫黄で厄払いしてきました。

2009年1月6日火曜日

新年


明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

 

今年の年明けは地元福島県いわき市を訪れていました。

 

毎年恒例となってしまった年末に体調を崩すという悪い癖が今年も・・・

きっちりとクリスマスを過ぎてから5日間、寝込んでしまいました。 


一年の疲れを落とすべくゆっくりと静養してから里帰りし2009年を無事に迎えました。


自分にとっての激動の2008年、流れてしまえば一瞬の出来事。それでもじっくりと思い起こせば多くの出来事が甦ってきます。新たな一年、発展を求めて日々精進していきたいと思います

 

上の写真は毎年恒例の中央台北中学校卒業サッカー部と二つ下の部員の面々。


十四年前、あの時期の事、鮮明に全ては思いだせないけれど、今こうして集まれる仲間がいるということは、あの時、不器用でも一つのことにそれぞれが本気で取り組んでいたからだと、そう思います。

何十年後、言葉を交わさずとも、薄い壁さえ見えない関係、これからも、今年もお互い頑張りましょう。