日本にはキリストやアラーといったような神が存在しない。
ありとあらゆるものに神が宿るといわれてきた、大木、大岩、風といった具合に、この国は他の民族や他の国に国土を占領されたり、追放、あるいは虐殺されたり、独立するために多くの犠牲をはっらたという歴史的苦難を味わっていない、また違う言語を強要されたりしていない。
ヨーロッパや新世界もそういう侵略と混血の歴史を繰り返していて、それが国際的な理解の基本になっている。
確かに日本は原爆を落とされたことのある世界唯一つの国であることに変わりはない、けれど上に書いたような侵略により、国が分断されるようなことは無かった。僕達が今生きる現実の中で混血という言葉は余りにも遠いように感じる。
「文化とは差異を積極的に表すこと」という見解を読んだことがある。アジアの東の端にあるこの島国には、世界に広がる大陸に比べて、その必要性は低かったのだろう、今の日本に日本古来の文化なんてあってないようなものだ。その文化が前の大戦(原爆)で全て失われたという見解もあるが、元々外国との接触が少ない島国で諸外国との外交や政策が苦手だったこの国がどこで侵略戦争の歴史から、電気製品の製作の歴史に切り替えるべきだったのだろうか、それが原爆と言っているわけではない、どこかでこの国の進む道は必ず変えなくてはいけなかったということだ。高度経済の成長、バブル、崩壊、不良債権問題、今が幸せがとうかは自分が決めるべきことだか、どこがで何かが変わらなくてはいけなかったのは事実だと思う。(スーパンマン的存在が現れる可能性だってあった)
現実的にそれが原爆であったことは確かだ、僕は戦争を肯定しているわけではない、むしろ「戦争反対」と大声で言いたいくらいだ、だって今戦争に行けといわれても、それは無理なことだ。決して人の命を奪うことを肯定するようなことは出来ないし、暖かい部屋の中で好きな音楽を聴きながら、何度も読んだ本を擦り切れるまで読んでいられれば、それに越したことは無いはずだ。(それと柔らかい肌があれば申し分ない)けれど、世の中の人間が心を持った時点でそれは避けて通れない道なのかもしれないとも思う。
大事なことは、こういうことについて話すということだ、表現することの自由は間違いなく守られるべきだ、文学の中や芸術の中で人を殺すとは罪にならない。
ということで、先輩から教えてもらった人権擁護法案について皆さんも考えて頂きたい。
大事なことは考えること、話すこと、OUT UPである。
http://blog.livedoor.jp/monster_00/archives/cat_847822.html
この国は汚れた世界の中で、美しい心を持った人間が残る国とも言える。
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