自己紹介

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東京都中野区を拠点に活動中。 2002年よりFESN(カメラマン) 2008年よりDiginfo(映像編集) 2009年より理学療法士養成校に入学

フィジセラBlog

2011年3月29日火曜日

「がんばろう」という言葉の意味

「がんばろう」という言葉に違和感を覚えるという文章を読んだ事がある。

「がんばろう」という言葉は欧米諸国の言葉に翻訳する事は難しい。欧米には「がんばろう」という概念が存在しない。頑張るとは困難に耐え努力してやり通す事である。いかにも日本らしい発想であり、美徳である。

自分はあまり頑張るという言葉を口にしないようにしている。なぜなら、勉強や仕事にしても、自ら望んで遂行している事であり、誰にも強要はされていない。そして困難に耐える程の苦難がそこにあったとしては、それは大前提として、自らの選択ということである。

しかし、今回の被災により、目にするようになった「がんばろう東北」などの文字は間違いなく適切な言葉である。今こそ困難に耐え努力して生き抜くという言葉当てはまる。

2011年3月13日日曜日

終わりと共に始まった事

やっと実習が終わった。とにかく、大変で沢山言いたい事もあった。
ビデオブログもやりたいと思ってた。
だけど、最終日に襲った地震で全てが無くなってしまった。
黒板消しで消された後にみたいに薄らとかしか残ってない。

地元、福島県いわき市の被害は思ったより酷そうだ。
テレビでは、宮城、茨城の映像が流れ続けてる。そして後は原発。
実家は原発から約40キロ、家族はおばあちゃんやおばさんを集めてみんなで南下出来るところまで被爆非難した。

実際、母親と電話で話すと声が震えていた。周りには家を無くした人が沢山いるって言ってた。自分の実家は瓦が少しとんで、壁にヒビが入った程度、念の為の非難。

正直、こんなにもあっさりと不安の中に自分が飲み込まれると思わなかった。
電気は確保出来てるが、水と食料は足りないらしい。あとガソリンはまったく追いついてないようだ。津波で酷かった小名浜からガソリンが入ってくるらしく、現在はメドがたっていないらしい。

自分に出来る事はインターネットを使ってより多くの正確な情報を家族に伝え事。
mixi、Twitter、Blog使えるものは何でも使って、情報を昨日から集めてる。

後はmixiからTwitterへの転送、その逆を永遠と行ってる。
今のいわきは上と下を災害地に囲まれ身動きが取れないようだ。

もう少しでここ新潟を後にして東京へ帰る。
数日前は「こんなに楽しい荷詰めは初めて」とか「さよなら日本海」的な事を書きたいと思ってた。

2011年3月5日土曜日

怒濤の2週間

とりあえず、なんとかここまで来た。あと一週間。自分は出来てるのか分からないが、今の時点まで辿り着いたという結果しかない。あくまでも時間軸の話な様な気もするけど。

昼と夜の区別がつかない日々だった。思考の回転の限界を越え、支離滅裂な文章を書いて提出。添削。憔悴。思考。添削。あきらめ。挑戦。思考。タイプ。添削。停止。思考。思考。タイプ。タイプ。タイプ。

出来ないからって消極的な時間を過ごすのだけは違うと思ってた。だから、元気に振る舞ってたけど、反省してないって取られてる可能性もある。でのこれはポリシーとスタイルの問題で、自分が今まで生きてきて見つけたスタイルだ。

消極的な時間を過ごして、起こして来た失敗。二度と繰り返さない。

2011年2月20日日曜日

選択していると言う事

今日はここにきて初めての週末だった。
昨日と今日の早朝にある程度の課題を終わらせて、電車で40分以上掛けて市街地へと向かった。電車は一時間に一本しか来ないので、事前に時間を確認しておく必要があった。事前に電車の時間を確認して家を出るなんて何年ぶりだろうと思った。外は寒いので成る可くギリギリに駅に向かうと発車時刻の5分前に遠くの方から電車の音がしたので、小走りで駅に向かった。時間調整かなにかで少し駅に止まっているのかと思うと、発車時刻の2分前に扉が閉まって電車が走りだした。良く耳にする発車を促すベルや駅員さんの放送もなく、坂道を転がるように電車は動き出した。もう一度ポケットの携帯電話と腕時計を確認するがまだ発車時刻までに1分45秒あった。中野駅の中央線のホームで1分45秒も早く電車が発進すれば、遅延で一本前の電車が走り出したと思ってもおかしくなし、もし本当に1分45秒早く発進したとすれば、少なからずニュースになる可能性だってある。そんな事を思いながらも電車は両脇を田んぼに囲まれた線路を走っていた。余りに何も無くて、駅と駅の間隔が長い。一駅の間に新宿から三鷹ぐらいまでの距離だってあるかもしれない。そう考えると都会は恐ろしく凝縮された街だという事を改めて実感する。

前置きが長くなってしまったが、今日考えた事は選択するという事だ。
先日病院の人とたわいもない世間話をしていた時、この街を出ることなんて考えなかったな、という言葉を聞いた。ある意味、自分はこう思った。
あの街に住み続けるなんて考えなかったな。

お互いの意見は対極にある様に見えるが、この二つの意見はある意味では同じ方向を向いている、結果的に動くと動かないという事だけど、無意識という面に関しては同じ事だと思う。良く耳にするように、環境が変わってもやる人はやる。やらない人はやらない。この意見に辿り着く。

どんな所に住んでいても、毎日小さな積み木を積んでる人も居れば、何もせずに消費的に時間を過ごす人だっている。

行動するという事に置いては場所を変えて、物理的に接触する人が多くなれば、そこになにか摩擦みたいなモノが産まれて、それがなにか個体化する事もあると思う。物理的接触がなくても、摩擦を生み出せる人だっているはずだ。知らない街に来て、その街の人の生活をかいま見ると、まったく違う人生がそこにはあって、何か自分とは違う哲学みたいなモノがあるようんが気がする。

読み返してないんで、誤字脱字はごめんなさい。
最近の晴天で雪もすっかり落ち着いた。

天下一ってどこにでもある。

見つけた瞬間に財布出してた。450enn

港町として栄えたって本当なんだ。

2011年2月16日水曜日

実習3日目にしてこのありさま。

元々、綺麗好きな方ではないので仕方ないですね。
しかしながら、このぐらいの方が安心するんですよね。

人生もそう、少し複雑で難解な方が生きがいがあるってもんですよね。
まだまだこれから!

2011年2月14日月曜日

確率の問題

ある先生から『自分のイメージした悪いことが、その通りになる確率は?』
という問題が出されました。

自分は30%とかかなと思いました。

正解は5%。
以外と少ないと思ったけれど、先生は『〜になったらどうしよう』と考えるだけで、心も体も停滞すると言いました。
そして『〜するにはどうしらた良いか』を考えた方が良いと言いました。

逆説の発想で驚くほど前向きな考え。確かに希望的観測を思い描く事で現実に近づく。
プラスな事をイメージすれば、マイナスにはならないと言う事だろう。

ならばリスク管理は?

と思うが、それすらも超越する考えなのかもしれない。
前を向いている人は後ろは気にしなくて良い。
もしくは思う存分後ろを見た人は、前を向く事の重要性を重く知っているのかもしれない。

2011年2月13日日曜日

備えあれば憂い無し

「あるヤツがこう言った。30秒フラットで高飛びできるよう、面倒な関わりを持つな。そういう男を捕まえようってヤツが結婚するのが間違ってる。」


ロバートデニーロが出演する『ヒート』の台詞

とりあえず、滞在する周りの地理を把握する事は大事。
しかし、突如として暴風雪。
普通のズポンでは駄目
しばらく、過酷な日々が続くと思われるので、いつもよりも野菜を意識してとるようにする。
鮭とオクラ、ピーマン。
最後は麺汁を入れれば辻褄が合うと聞いた。
そして、また外へ
さっきまで晴れてたのに。
という事でまたお料理。
とにかく野菜。
そして、食べ過ぎた。