自己紹介
- takuya nakajima
- 東京都中野区を拠点に活動中。 2002年よりFESN(カメラマン) 2008年よりDiginfo(映像編集) 2009年より理学療法士養成校に入学
2010年12月31日金曜日
スケーターにも重要な筋肉
一番始めに僕が思いついたのはスケーターのプッシュ(漕ぐ動作)です。
寒いなか急にプッシュするとハムストリングスの肉離れをおこしかねません。
注意しましょう。
2010年12月30日木曜日
建設的ということ
辞書には現状をよりよくしていこうと積極的な態度でのぞむさま。とある。
建設的に物事に取り組む事によって生み出される事はとなにか?
逆に建設的に物事を考えなかったり、取り組まなかった場合に起こる減少とはなにか?
最近、物事に建設的に取り組んでいる人とそうでない人の差を良く見るようになった。というより目につくようになった。
例えば、自分の現状が上手くいっていない時、まず何を考えるだろうか。
自分を取り巻く環境が悪い。あの人が悪い。
もしかしたら自分に何か問題があるのではないか?
どちらが先きに建設的考えに辿り着くだろうか。
何かのせいにする前に自分の襟を見つめ直します。
2010年12月28日火曜日
秋葉原と骨模型
何故か家電屋に人体の模型を見つけてからシーズのほぼ全てを買占めてしまいそうです。
以前に新宿のビームスで筋肉や骨模型が売っているのを見つけたのですが、意外と値段がしたので買わなかったですが、某スタ丼屋に行く途中に見つけた家電屋で山積みになった模型達を発見してから買い巻くってます。
そして次の身体活動研究は脳を動画で紹介したいのですが、自分の知識のなさにビックリして改めて勉強し直してます。
せっかくなので、運動学に関連ずけたいとか、疾患を意識して脳梗塞系だと脳血管系かな、とか考えてます。
近いうちにお楽しみに。
【解剖学】上腕二頭筋:身体活動研究 編集後記
このような勉強をしている人は当たり前の事でも、普段の生活の中で上腕二頭筋の起始と停止を考える事はありません。
私達、理学療法士を目指している学生は体の筋肉全ての起始、停止、作用、神経支配、関節運動の方向などを覚えます。体中余す事なく、全てです。それは異常を正常に近い状態にするという治療の為です。正常と言われる体だの仕組みを知らないと異常を治療する事はできません。
自分もまだあやふやな知識のところがありますが、この動画を作りながら再学習したいと思っています。
2010年12月27日月曜日
今年も残すところ、、、。と言った時期ですね。
好きな事をしてると時間という概念は消滅します。昨日は久しぶりにFESNの事務所に年末の挨拶に行ってきました。昼に家を出て、気付は夜の12時を回ってました。話すという事の大切さをあそこで学べなかったら、今の自分はありません。どうせやるなら限界までやる。全ての可能性を探る。最後までコミュニケーションを諦めない。全ての自分の根源はあそこにあります。
今年もお世話になりました。
また来年もよろしくお願いします。
というわけで、早速次の動画の素材撮りをしてました。
2010年12月26日日曜日
2010年12月19日日曜日
着々と
2010年12月18日土曜日
新たな試み
みなさんこんにちは、昨日30歳になりました。
2010年11月22日月曜日
utau kujira
2010年9月29日水曜日
人生とピーマンと遺伝子
人生で初めてピーマンを自分の意思で買った。
今までピーマンを食べたいと思ったことは一度もなかった。嫌いな食べ物はピーマン、アスパラ、セロリ、パセリ、ブロッコリーetcと緑の野菜が苦手だった。しかし、朝がくれば空が明るくなるように、ある時すんなりとそれら全てを食べられるようになった。しかも、美味しいとさえ感じるようになったのだ。
みなさんも嫌いな食べ物や苦手な食べ物が一つぐらいあるだろう、それらが急に食べられるようになり、むしろそれらを欲しているとしたら、どう感じるだろう。
そこに何か因果を感じても不思議ではないだろう。
そして、ふと父親のことを思い出した。
父親も同じく30代頃に野菜が急激に好きになったということを聞いたことがある。自分のイメージでは父親はとても痩せていて、よく夏になるとセロリを生のままボリボリ食べながらビールを飲んでいた。ある時はピーマンを素焼きして醤油を垂らして食べていた。
当時の自分はピーマンの香りを嗅ぐだけて吐き気がしていたので信じがたい光景だった。そんな自分がピーマンを買い、細く切って牛肉と痛めてボリボリ食べている。未だにアルコールは強くないが、そこに何らかの遺伝子を感じざるおえない。
良くも悪くも似た遺伝子を持っているようだ。言い換えればカルマとでも言うのだろうか。
父親とは長らく連絡をとっていないが、この事実を伝えたいと、ふと空気が冷たくなった今日この頃思った。
2010年8月18日水曜日
In sonoma
今回の撮影はソノマを中心に行っている。
2泊程napaのホテルを梯子して、やっとソノマのレントハウスに到着して3日目。
ようやく時差も吹っ飛んで快調な日々が訪れている。
日曜日は撮影の予定が入ってなかったので、ふらっとダウンタウンへ足を運んだ。napaとはまったく違う赴きで、スクエアーの街がシンプルに栄えていて、一目でnapaより気に入った。
田舎ではあるけれど、研ぎ澄まされた空気が流れていた。もう何年もこのスクエアーは変わっていないんだろう、ずっとある風景と空気、街を歩く人の気持ちが均一に保たれていて、排他的な空気が流れていない、物がありすぎない気がする。
そして、街を歩くとアートギャラリーの多さにビックリする。絵を描く人や彫刻にアクセサリー、個人生産の物が沢山ある。豊な空気が作品を生み出す。また都会のストレスから生まれた作品とは一味違ったものがありました。
今回も感じたけれど、アメリカの第一の問題はなんと言っても「肥満」
2010年8月13日金曜日
ミラクルな時間はイタリアから
2010年8月2日月曜日
超回復の原則
2010年6月11日金曜日
Into The Wall
多くの物事は言葉で表現できる。
人と話すことによって、お互いを理解できると学んできた。多くの事を話すことによって、より広い領域でお互いを理解できると思っていた。
しかし、自分の真意を伝えることは難しい、自分の気持ちを伝えようとすればするほど、自分の気持ちや言葉に靄が掛かったようになってしまう事がある。
時には言葉というコミュニュケーションを遮断して、感じるという事も大切かもしれない。
全ての物事を論理化する事はできない。
雨降りの多い季節は多くの壁にぶつかる。
2010年6月5日土曜日
危機感の継続
続けようと思ったことを、純粋に続ける事は難しい。
今までに何度も、これから毎日、何かをしようと思ったことはあるが、あらゆる言い訳や、言い訳を言うまでもなく、当然のごとく、止めてしまった。
そんな思い出は沢山ある。
それでも幾つかは続けている自分なりに自分のペースで続けている。いつか実を結ぶ日が来ることを信じて。
2010年4月26日月曜日
in to the wild
2010年4月12日月曜日
始まりはいつも雨
早朝の曇り空は夜の終わりを拒んでいるようだった。
空を覆う雲は何かの始まりを予感させた。
降り出した雨がそれを確信に変える。
常に一つの出来事は何かを象徴している。
さて、今日の雨の降り止まない雨は何を暗示しているのか?
2010年3月13日土曜日
最終日
2010年3月10日水曜日
またもや、ナパへ
2010年3月9日火曜日
City and County of San Francisco
2010年3月3日水曜日
The highest view
Time to Destination
沖縄から帰ってきて2日後、またもや飛行機の中にいる。3時間ぐらいのフライトなら楽しさを感じたが、9時間のフライトは苦痛だ。(しかも一人)
沖縄の疲れか、出発の朝は良く寝てしまったせいで全く眠くない、成田を出たのが午後の4時頃、時差を修正していない腕時計は22:47分、現地着く予定時間は朝の7:50分、間違いなく時差ボケで初日はしんどいはず
今回は10日間近くの滞在になる予定でしかも、撮影の予定がぎっしりと詰まっているらしい、、、。
ナパワインプロジェクト、去年の9月から撮影を初めて、ついに今年の2月18日にtake off。
オープニングやタイトル出し、など自分のアイディアを振り絞って制作した。自分なりにオープニングは結構気に入っている。
ずっと映像越しに見ていた風景やワイナーを今回実際に目にすることが出来るのはとても楽しみだ。
2010年2月27日土曜日
travel blue
青い海と近い雲、地平線に沈む太陽。
2010年2月21日日曜日
Last day
2010年2月14日日曜日
言わずと知れたこのメンツ。
2010年2月5日金曜日
今年初めての山登り、今回は東京の端にある陣場山、高尾からバスを乗り継ぎ、往復7時間の道のり、山はいつでも都会で疲れた心と体をリセットしてくれる。
写真は実際に見た景色を上回れない、新鮮な景色は二つの眼球を通して見るというよりは全身を使って感じるに近い、人が全身で感じる景色を手のひらサイズのカメラ(機械)が上回れるはずがない、けれど残念な事に機械は記憶という面においては人を遥かに上回る。(人の記憶はあまりにも不鮮明で容量が少ない)
今でも写真を見れば、あの景色が鮮明に蘇る、一枚の写真の裏側にある汗や筋肉痛、山頂でのカップラーメン、サウナと冷水、月明かりだけを頼りに歩いた坂道、暗闇で威嚇された猿の鳴き声、全ては時の中に消えていく記憶、少しでもその時間を送らせたい、そう思う。