一年ぶり、夏の終わり、踊りっぱなしの一日、トニー アレンから全速力で走り出したタンクトップ ジェットコースターは雨なんて気にせずに肩出しで走りだした。
相当広いはずの会場も小さな片面バスケットコートの用に見えてくるほど元気な僕は長年連れ添った同居人と共にはしゃぎ捲り、当然の如く、いつもの如く、急降下をみせる同居人を片目にうつしながら、何度もくる波にのり、のまれながら、マニュエル、UR、CLAM、奇跡的な夜明けを迎えて、ずっと踏ん張ってくれていた雨雲が土砂降りの雨を降らし、頼りない雨具を身にまとった僕たちは短すぎるパーティーに名残惜しさを感じながらも、会場を後にした。
あの日から一日、例えば財布とか携帯電話とか家の鍵とかとても大事そうに思える何かを忘れきてしまったような、不安にもにた感情が時折襲ってくるのはなぜだろう?
自己紹介
- takuya nakajima
- 東京都中野区を拠点に活動中。 2002年よりFESN(カメラマン) 2008年よりDiginfo(映像編集) 2009年より理学療法士養成校に入学
2008年8月26日火曜日
2008年7月30日水曜日
三浦綾子の話
最近、自宅の近くの図書館に三浦綾子全集を読みに行くというのが、一つの楽しみになっています。
今まで、全集というものは、過去に発表された作品集だと思っていたのですが、その中には作家が今までに書いたエッセイや本になっていない短編、短歌が納められていて、また違った側面に接することが出来ました。
特にその中でも三浦綾子全集の中には沢山のエッセイやインタビュウーなどが納められていて、感銘を受ける言葉ばかりです。
その中でたった今読んでいて、思わず心を打たれた言葉を一つ上げたいと思います。
「足のない人を見るまでは、靴のないことをぼやいていた」
満たされ過ぎた日々、不自由ない生活、胸を強く突き刺す一言でした。
三浦綾子全集は二十巻ほど出版されているので、時間のある時に読み進めていきたいと思います。
今まで、全集というものは、過去に発表された作品集だと思っていたのですが、その中には作家が今までに書いたエッセイや本になっていない短編、短歌が納められていて、また違った側面に接することが出来ました。
特にその中でも三浦綾子全集の中には沢山のエッセイやインタビュウーなどが納められていて、感銘を受ける言葉ばかりです。
その中でたった今読んでいて、思わず心を打たれた言葉を一つ上げたいと思います。
「足のない人を見るまでは、靴のないことをぼやいていた」
満たされ過ぎた日々、不自由ない生活、胸を強く突き刺す一言でした。
三浦綾子全集は二十巻ほど出版されているので、時間のある時に読み進めていきたいと思います。
2008年7月25日金曜日
シグナルとシグナレス
2008年6月26日木曜日
紫陽花

今週の初め、この季節としては100点満点の梅雨空の中、中野から南下すること約1時間半、数百年前の都、鎌倉に行って来ました。
今回この土地を訪れた理由はなんと言っても紫陽花。
僕には数年前まで季節の花を楽しむ習慣なんてまったくありませんでした。
少しずつ家を出てから駅に向かう道のりの中で見える木々の葉や道端のつぼみに目が奪われてしまうのは何故でしょう、単純に年を重ねただけと言われれば、そうかもしれません。
四季のはっきりとした土地で季節の模様を楽しむのも一つの喜びです。
さて、今回の紫陽花ですが、想像を超える美しさ、視界を埋め尽くす様々な色は、一枚の絵を描くために準備されたパレット、紫陽花は土の養分によって色を変えるようです、一体鮮やかな色を出す養分とはどんなものなのでしょう。
今回、訪れたのは江ノ電、長谷駅から歩くこと10分の所にある長谷寺。
40種類、2500株の紫陽花、思い出したように降る希薄な雨、この季節、この日のタイミングだからこそ見える景色を記憶しました。
是非みなさんも季節の花、季節の雨を体験してみてはいかがでしょうか。
2008年6月16日月曜日
3star→明治神宮

先週末は初のバーテンに挑戦しました。
我らがFAT BROSの萩原さんが経営する3starにてバーテンをすることに、お酒の飲めない僕にとっては無縁の仕事と思っていましたが、実際に始まってみると、お酒を飲む暇などまったくありませんでした。カウンターから見える景色はいつもと違い、みんなの楽しんでる姿が古いVHSのテープでも見ているようで、厚みのある映像が時間の経過を忘れさせてくれました。
今回の主催者コウスケ君を初めとするDJ陣も純粋に音楽を楽しんでいて、一曲一曲掛かる音に体を揺らして外が明るくなっても最後の一曲がくるまでみんな帰らずに踊っていた姿が印象的でした。
次のイベントもタイミング合えば一緒に遊たいです。
萩原さんお疲れさまでした。またよろしくお願いします。
そのままの勢いで朝日を右で覆い隠して、肩には最近買った中盤MAMIYA-RB67をぶら下げて、いざ明治神宮へ!
初の明治神宮には唖然。都会、しかも原宿の真ん中にこんなスポットが存在するとは思っても見なかったです。東京に来て10年、知らないことはまだまだあります・・・。
そのまま代々木公園の芝生に横になると、さすがに記憶が真っ白。強い日差しをものともせずに夢に中へ。
みんなが都会に集まり始まる昼過ぎには渋谷より中野直行便のバスに乗り帰宅。
詰まった週末でした。
おかげで部屋の掃除は進まないまま・・・。頑張ります。

2008年5月19日月曜日
anohi
遂に、この日がやって来ました。
「overground broadcasting完成試写会」この日をどれだけ待ったことか、誰が一番待ったかというと、我々クルーそして監督森田貴宏自身だと思います。楽しい時間、今か、今かと待ち望んだ時間は、あっと言う間、一瞬で過ぎ去ります。そうです。この試写会も一瞬にやってきて過ぎ去ってしまいました。一瞬で過ぎ去った時間。波打つのが目に見えるような拍手喝采の数分。一年分ぐらい交わした握手の数々。激励の言葉。全てがもう過去の出来事です。
このまま拍手が鳴り止まなかったらどれだけ幸せかと。それでも、もう5月16日は「あの日」になってしまいました。けれどあの日「5月16日」は僕にとって記念すべき日で一歩前に進んだ一日でした。
一歩進んで、素晴らしい過去の「5月16日」を振り返ると、一日、一時間、一分、一秒、確実に色褪せていくのです。遠くなる拍手、握手の感触が薄くなる手のひら、聞こえづらくなる激励の言葉。
あの日に受けた感動を胸に、また新たな挑戦の一歩を踏み出したいと思います。
その一歩はあの日を超えるような一歩になるように。
詳しい、レポートはFESNのHPと次号のトランワールドでレポートする予定です。
取り急ぎ、色褪せないうちに書きました。
2008年5月10日土曜日
5月16日

「締め切り」この部屋の中ではこの言葉は無意味である。次から次へと溢れ出てくるアイディアに一人の行動力では補うことが出来ず、この建物には常に何人かのスタッフが出入りし、一人の統率者の下、そのアイディアを具現化すべく動いている。この溢れ出てくるアイディアによって締め切りという言葉は意味を無くしてしまう。
初めにこの締め切りという概念についての共通認識を持っていないことには、この作品を語ることは出来ない。意味を無くした言葉は死語となるので忘れることにしよう。
「アイディア」この部屋から溢れでるアイディアには狂気さえ、感じることがある。突発的に飛び出ることもあれば、固まらない粘土のように長年の歳月を掛けて生み出されることもある。
長年考え抜かれたアイディアはもちろんだが、突発的アイディアにしても、それは物凄く洗練されていて、常に斬新だ。しばし僕はあまりにも洗練されすぎたアイディアに疑りの目を向けることもある。(疑りというのは理解に苦しむがゆえのこと)
洗練されている、という定義について話そう。簡単に言えば田舎臭くないということだ。僕自身も東北の片田舎出身であり、同時に田舎者である。けれどここで話す田舎者とは生活している、生活していた、場所をさしているわけではない。洗練されているということは大量のデータの中で揉みくちゃにされ、更にそこから峻別されたモノこそが洗練されているということになる。この大量のデータというのが重要なキーワードになってくる。
初めにこの締め切りという概念についての共通認識を持っていないことには、この作品を語ることは出来ない。意味を無くした言葉は死語となるので忘れることにしよう。
「アイディア」この部屋から溢れでるアイディアには狂気さえ、感じることがある。突発的に飛び出ることもあれば、固まらない粘土のように長年の歳月を掛けて生み出されることもある。
長年考え抜かれたアイディアはもちろんだが、突発的アイディアにしても、それは物凄く洗練されていて、常に斬新だ。しばし僕はあまりにも洗練されすぎたアイディアに疑りの目を向けることもある。(疑りというのは理解に苦しむがゆえのこと)
洗練されている、という定義について話そう。簡単に言えば田舎臭くないということだ。僕自身も東北の片田舎出身であり、同時に田舎者である。けれどここで話す田舎者とは生活している、生活していた、場所をさしているわけではない。洗練されているということは大量のデータの中で揉みくちゃにされ、更にそこから峻別されたモノこそが洗練されているということになる。この大量のデータというのが重要なキーワードになってくる。
別に誰が田舎者だ、とか自分を自嘲するために書いているわけではない、ただこの事務所の中で沸き起こるアイディアは、常に洗練されているということを言いたかった。
そう、八年間の歳月を掛けて、洗練されたアイディア達が詰め込まれた作品がここに完成する。
人生六十年と考えれば八年という月日は短く感じるかもしれない、けれど僕にとって八年という歳月は永遠のようにさえ感じる。八年の歳月を掛けて一つのことをやり抜く姿勢、純粋に美しいと思う。
5月16日 金曜日 at 中野ゼロホール 7時30分
締め切りという言葉が完全に死語になっていなければこの日、この場所でみなさんにお会い出来ると思います。
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