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東京都中野区を拠点に活動中。 2002年よりFESN(カメラマン) 2008年よりDiginfo(映像編集) 2009年より理学療法士養成校に入学

フィジセラBlog

2011年2月20日日曜日

選択していると言う事

今日はここにきて初めての週末だった。
昨日と今日の早朝にある程度の課題を終わらせて、電車で40分以上掛けて市街地へと向かった。電車は一時間に一本しか来ないので、事前に時間を確認しておく必要があった。事前に電車の時間を確認して家を出るなんて何年ぶりだろうと思った。外は寒いので成る可くギリギリに駅に向かうと発車時刻の5分前に遠くの方から電車の音がしたので、小走りで駅に向かった。時間調整かなにかで少し駅に止まっているのかと思うと、発車時刻の2分前に扉が閉まって電車が走りだした。良く耳にする発車を促すベルや駅員さんの放送もなく、坂道を転がるように電車は動き出した。もう一度ポケットの携帯電話と腕時計を確認するがまだ発車時刻までに1分45秒あった。中野駅の中央線のホームで1分45秒も早く電車が発進すれば、遅延で一本前の電車が走り出したと思ってもおかしくなし、もし本当に1分45秒早く発進したとすれば、少なからずニュースになる可能性だってある。そんな事を思いながらも電車は両脇を田んぼに囲まれた線路を走っていた。余りに何も無くて、駅と駅の間隔が長い。一駅の間に新宿から三鷹ぐらいまでの距離だってあるかもしれない。そう考えると都会は恐ろしく凝縮された街だという事を改めて実感する。

前置きが長くなってしまったが、今日考えた事は選択するという事だ。
先日病院の人とたわいもない世間話をしていた時、この街を出ることなんて考えなかったな、という言葉を聞いた。ある意味、自分はこう思った。
あの街に住み続けるなんて考えなかったな。

お互いの意見は対極にある様に見えるが、この二つの意見はある意味では同じ方向を向いている、結果的に動くと動かないという事だけど、無意識という面に関しては同じ事だと思う。良く耳にするように、環境が変わってもやる人はやる。やらない人はやらない。この意見に辿り着く。

どんな所に住んでいても、毎日小さな積み木を積んでる人も居れば、何もせずに消費的に時間を過ごす人だっている。

行動するという事に置いては場所を変えて、物理的に接触する人が多くなれば、そこになにか摩擦みたいなモノが産まれて、それがなにか個体化する事もあると思う。物理的接触がなくても、摩擦を生み出せる人だっているはずだ。知らない街に来て、その街の人の生活をかいま見ると、まったく違う人生がそこにはあって、何か自分とは違う哲学みたいなモノがあるようんが気がする。

読み返してないんで、誤字脱字はごめんなさい。
最近の晴天で雪もすっかり落ち着いた。

天下一ってどこにでもある。

見つけた瞬間に財布出してた。450enn

港町として栄えたって本当なんだ。

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