自己紹介

自分の写真
東京都中野区を拠点に活動中。 2002年よりFESN(カメラマン) 2008年よりDiginfo(映像編集) 2009年より理学療法士養成校に入学

フィジセラBlog

2010年8月18日水曜日

In sonoma

今回の撮影はソノマを中心に行っている。

2泊程napaのホテルを梯子して、やっとソノマのレントハウスに到着して3日目。

ようやく時差も吹っ飛んで快調な日々が訪れている。


日曜日は撮影の予定が入ってなかったので、ふらっとダウンタウンへ足を運んだ。napaとはまったく違う赴きで、スクエアーの街がシンプルに栄えていて、一目でnapaより気に入った。


田舎ではあるけれど、研ぎ澄まされた空気が流れていた。もう何年もこのスクエアーは変わっていないんだろう、ずっとある風景と空気、街を歩く人の気持ちが均一に保たれていて、排他的な空気が流れていない、物がありすぎない気がする。

そして、街を歩くとアートギャラリーの多さにビックリする。絵を描く人や彫刻にアクセサリー、個人生産の物が沢山ある。豊な空気が作品を生み出す。また都会のストレスから生まれた作品とは一味違ったものがありました。


今回も感じたけれど、アメリカの第一の問題はなんと言っても「肥満」


2010年8月13日金曜日

ミラクルな時間はイタリアから

 壮絶なテスト週間を終えて、ご褒美はカリフォルニアの大地。
でも、あくまで仕事、しかも今回はカメラマン一人、自分のみ。結構気合い入れて撮影する予定。

 最近、吉本ばななの「とがけ」っていう短編集にもってかれた。電車の中で会う偉大な人、川の話、一瞬で吉本ばななの世界に引きずり込まれた。今までいろんな人から進められたことはあったけど、何ページか読んでやめることが多かった。ふとしたタイミングで本棚から出て来た文庫、こういう事があるから読まないのに古本屋とか行くと大量に本を買い込んでしまうんだよなと実感した。
 それと読むタイミングの重要性。いくら進められても自分のタイミングじゃないとしっくりこない。レンタルで5本、DVDを借りても2本しかまともに見れないのと一緒。

 今回の旅に忍ばせた本は「セロ弾きゴーシュ」と「基本英文700選」、セロはもう何度も読んだけど、飛行機の上で読んでみたいと思ってふと鞄の中に、英文は毎回実感する英語力のなさに嫌気がさして、本気で勉強してやろうと思って。(あくまで意気込み!)

 昨日、原宿でラモス瑠偉を見た後に、陽気なイタリア人に話しかけられた。日本について初日、表参道ヒルズに買い物に行きたかったらしく、つたない英語で道を聞かれた。お互いつたない英語での会話。その後に残ったのは、陽気な英語と彼女の笑顔、PM8:30分、二人は日本の閉店時間を知らない。だけどそれが旅行者の特権。知らない事が特権とされる旅行者、明日からのカリフォルニア、分からないことは下手な英語でいいから聞く、基本に戻って知らないことを楽しむ。

ではいってきます。

2010年8月2日月曜日

超回復の原則



「筋肉は過負荷を受けると、筋肉を形成する筋線維の一部が損傷し、一旦筋力が低下する。その後およそ36~72時間で元の水準まで回復したのち、再び同様の負荷に備え、元の水準を超えて筋線維を成長させる」

これが超回復の原則だ。この際にしっかりとした睡眠や栄養補給など様々の要因はあるが、単純に考えて一度負荷を与えられた筋肉はくるべき次の負荷に備えて、より一層強くなるということだ。
それと似た現象が、自分の中(脳内もしくは精神)に起きた。

先週から今週にかけて20教科近い科目のテストが2週間の中に組み込まれた。
もちろん分かっていたことなので、それなりの準備をするべきだったのだが、多少仕事に力を入れ過ぎたことと、先週末に体調を崩したことで、切羽詰まった状況になってしまった。

先日、一周目をなんとか怒濤の詰め込みで乗り越えた。
「理解する」「納得する」を端に寄せて、兎に角ブルドーザーみたいに端から端まで憶える。
シンプルだけど、体力が必要だった。

そんな一週間を終えて、束の間の休日は目覚まし時計をセットせずに、睡眠。

そして目覚めて資料に目を通して、しばらくして何かが変わったのがが分かった。
「集中力の質と時間の長さ」これぞ、まさに超回復。

これを慣れと呼ぶのか、成長と呼ぶのかは分からないけど、残りの一週間の一踏ん張りを楽しみたい。

2010年6月11日金曜日

Into The Wall

多くの物事は言葉で表現できる。

人と話すことによって、お互いを理解できると学んできた。多くの事を話すことによって、より広い領域でお互いを理解できると思っていた。

しかし、自分の真意を伝えることは難しい、自分の気持ちを伝えようとすればするほど、自分の気持ちや言葉に靄が掛かったようになってしまう事がある。

時には言葉というコミュニュケーションを遮断して、感じるという事も大切かもしれない。

全ての物事を論理化する事はできない。

雨降りの多い季節は多くの壁にぶつかる。

2010年6月5日土曜日

危機感の継続

続けようと思ったことを、純粋に続ける事は難しい。

今までに何度も、これから毎日、何かをしようと思ったことはあるが、あらゆる言い訳や、言い訳を言うまでもなく、当然のごとく、止めてしまった。


そんな思い出は沢山ある。

それでも幾つかは続けている自分なりに自分のペースで続けている。いつか実を結ぶ日が来ることを信じて。



2010年4月26日月曜日

in to the wild

この映画から学ぶものは何か?
この作品が言いたいこと何か?

いつも映画や小説、音楽に触れる時は意識するようにしている。そうしないとただぼんやりとした時間が過ぎてしまい、輪郭の滲んだ水彩画のような気持ちになってしまう。もちろん、そんな気持ちになりたい時は何も意識せずに活字を眼で追い、何も考えずにヘットホンをする。

けれど、初めての作品に触れる時はほとんどの場合、作り手の意図することを読み取ろうとしてしまう。ある意味、警戒心に似た感覚かもしれない。もちろん始めは好奇心だった。しかし、幾つかのがっかりさせられる作品に出会ってから徐々にそんな気持ちになったような気がする。

「in to the wild」この映画が伝えたいこととは何か?
正直、見終わった直後の感想は、出口のない地下室に居るような、息苦しさを感じた。直ぐに感想を言葉にすることが難しく、悲観的な意見が頭の中を飛び交った。しかし、時間が経つにつれて、endingのラスト10分間の映像と台詞が頭の中で反復し始めた。それはよく耳にするような、人生とは何か?というような命題ではなく、実際に肌を切られたような物理的な痛みに似た感覚で、何時間も歯を食いしばったような疲労感がそこにはあった。

究極の選択として、彼のした事が間違っていたのか、間違っていなかったのか?
答えを限局することによって、ぼやけたピントの焦点をあわせることができる。
僕の考えとしては、自分ならどうするか?そう置き換えるなら、答えは多少の靄が掛かっているにしろNO。つまり、彼と同じ行動をとらないし、彼の行動を非難する。けれど、彼が僕の心に刻んだ傷は深い。ということになる。

監督がショーンペーンというのも驚きだし、彼が主演を勤めたデッドマン・ウォーキングやミスティクリバーを見終えた時にも同じような感覚に襲われた気がする。

2010年4月12日月曜日

始まりはいつも雨

早朝の曇り空は夜の終わりを拒んでいるようだった。

空を覆う雲は何かの始まりを予感させた。

降り出した雨がそれを確信に変える。

常に一つの出来事は何かを象徴している。


さて、今日の雨の降り止まない雨は何を暗示しているのか?